物書き自己破産のお知らせ

2004-10-24 dimanche

秋晴れ。
ひさしぶりに爆睡。10時に起き出して、洗濯と掃除とアイロンかけ。
気持ちが良いので布団も干す。
机の上にはゲラが四つ並んでいる。

『現代思想のパフォーマンス』の再校、『いきなりはじめる浄土真宗』の初校、『ヒッチコック/ラカン』の初校、『ポーラン/ブランショ』の初校。

頭がくらくらする。
最初の二つは、比較的最近の書き物であるので、校正はわりと簡単だが、『ヒッチコック/ラカン』は一年以上前の翻訳仕事、『ポーラン/ブランショ』に至っては15年ほど前に書いた論文である。
ということは、校正でチェックが入っても、参照すべきオリジナルテクストが手元に存在しない、ということである。
一年前のものもないのかと驚かれるであろうが、私は仕事が終わると、本はともかく参考資料のコピー類は全部棄てちゃうのである。
ましてや15年前のブランショの研究資料など遠く恩讐の彼方である。
ジョゼ・コルティ版とガリマール版のエディションの違いについて編集者から問い合わせの付箋がついているが、どちらも手元にないので答えようがない。どうしよう。

ここにゲラが四つある。このほかに『先生はえらい』と『応用倫理学講座』の校正をしたから、あと6冊本が出るということになる。
これまでに『街場の現代思想』『TFK』『死と身体』『他者と死者』と今年は4冊本が出た。単著が5,共著が4,共訳が1。実際には、これ以外に翻訳1がある(日の目を見ずに終わったが…しくしく)。
まことによく働いたものである。
来年は、『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)と『いきなりはじめる浄土真宗』(本願寺出版社)が年明けに出て、池上六朗先生との対談本『right time right place』(毎日新聞社)、名越康文先生との『14歳の子をもつ親のために』(新潮新書)が春先に出て、『はじめたばかりの浄土真宗』、『ユダヤ文化論』(文春新書)…と6冊出る。
いくらなんでも、書きすぎである。
この状況で、さらに私に「書き下ろしを書け」と迫る編集者のみなさんのヒューマニティならびにマーケティング・センスに深甚なる疑念を抱くのは私ひとりではあるまい。
とりあえずは『読んでなくても大丈夫-高橋源一郎の明治文学史講義 in 神戸女学院』(冬弓舎)の編集を仕上げたら、暮れからは明窓浄机に端座して、渋茶を啜りながら『レヴィナス三部作』の第三部怒濤の完結編『時をかける他者』(発作的仮題)の執筆に専念することにする。
それ以外の出版企画については、編集者のみなさんはどうかご放念頂きたい。
不良債権は債権放棄。これがニッポンの常識である。
犬に噛まれたと思って諦めましょう、ね。
というようなことを毎年のように書いているが、少しも事態は好転しない。
これは私のこういう泣き言を編集者諸氏はあまり真剣に顧慮していないということかもしれない。
あるいはHPなんかぜんぜん読んでないとか。
泣きながら校正。

Y賣新聞で来月から映画評を始めるので、何かネタ仕込みのために街に映画を見に行かなくてはいけないのだけれど、その時間がない。
と愚痴を書いたら担当のT口さんが新作映画の「裏ビデオ」を持ってきてくれた。
「こういうものは『ない』ということになっておりますので、ひとつご内聞に」
「ふふふ越後屋おぬしも悪じゃのう」
というような会話を耳ざとく聞きつけたウッキーが「あ、それはもしかしてKムタクの登場シーンを多く編集したという日本用劇場公開版? 見たら貸してください」
Kムタク好きじゃないって日記に書いてなかったか、ウッキー。
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