10月21日
共済医学会での特別講演のために上京。
どうして私が医学の学会で講演をすることになったのか、その理由は私にもよくわからない。
今回の学会主幹である三宿病院の紫芝良昌院長がウチダ本の愛読者ということでの「独断と偏見」による人選らしいが、『看護学雑誌』に「インフォームドコンセントはよろしくない。ナースはえらい」という私の暴論が掲載されたことも一因らしい。
その記事を読んだ各地のナースのみなさんが、「このウチダというのは、シロートにしてはなかなかよいことを言うではないか」ということもあってお引き立てにあずかったのである。
「とにかく好きなことを話していただいて結構です」という大変ありがたいオッファーなので、お引き受けすることになった。
格式高い医学会であるので、新幹線を降りるとちゃんとお迎えが来ている。車で会場のお台場の日航ホテルへ。
そこで紫芝院長とご挨拶をしてお礼を申し上げ、一緒にお食事。
養老先生もそうだけれど、自然科学の研究者のみなさんは、話が実に明快にしてロジカルであり、聴いていてすぱすぱと決め所に話が決まって、たいへんに心地よい。
学術におけるプロモーションとクリエイティヴィティの負の相関について、いろいろと語り合っているうちにすぐに時間となり、会場へ。
300人ほどの聴衆の前で、お話をさせていただく。
タイトルは「身体と倫理」だったのだけれど、マクラに振った「コミュニケーションは誤解の幅を残して構造化されている」という話がなかなか片づかなくて、本題に入る前にタイムアップ。
あと2時間くらいあればちゃんとオチがつけられたのであるが、続きは「本を読んでください」という禁じ手で冷や汗をふきつつ高座を下りる。
ウチダ本の読者であるドクターのみなさんにご挨拶をして、ぱたぱたとホテルを出て、また車で紀尾井町の文藝春秋まで送ってもらう。
文春訪問の目的は新書の嶋津さんと『寝ながら学べる構造主義』5万部突破のヨロコビを分かち合うというのが一つ、『文學界』の連載の打ち合わせが一つ、単行本の文庫化についての打ち合わせが一つ。
嶋津さん、山ちゃん、田中くん、『文學界』の大川編集長さん、担当になる山下さん、文春の編集各セクションの重鎮たちがお見えになり、粛々と名刺交換。
『文學界』からは「あんなことをHPに書かれたのでは立つ瀬がありません。もう連載の話はなかったことに・・・」というようなお断りがあるかなと期待していたのであるが、ぜんぜんそういう展開にはならず、来春1月号から高橋源一郎さんも新連載が始まるそうで、話の勢いで、「では、高橋さんと同時スタートにしましょう」ということになる。
源ちゃん、ウッチーのニコニコ文學界。
北村透谷、樋口一葉に遡る『文學界』もだいぶ様変わりである。
この『ユダヤ文化論』(仮題)は完結後に新書になる。
嶋津さんはさらにその続きもとせっつくので、発作的に新書で『お化けの現代思想』(仮題)というものを書くことにする。
現代思想のすべての考想を「死者とのコミュニケーション」という観点から読み直すという思いつきである。
考えてみると、ハイデガーもフッサールもフロイトもレヴィナスもラカンもフーコーも、全部これでいけそうである。
これはけっこう面白そう。
『文學界』の山下さんが居合経験者なので、居合の話や殺陣の話でしばし盛り上がって時間を忘れかけるが、そうものんびりできず、みなさまにあわただしくさよならを告げて新幹線に飛び乗る。
とりあえず鰻弁当をビールで流し込んで、長い一日が終わる。
ああ、疲れた。
でも、明日は朝カル初日。
まだまだ「死のロード」は終わらない。
10月20日
台風来襲。
それにしてもよく台風の来る年である。
いったい、上陸した台風がいくつになるのか知らないけれど、発生した数でいうと、これで24号。
水曜なので、私はオフだが、たぶん学校も休校になっているのだろう。
午前中はまだそれほど風も強くなかったので、大雨の中を下川先生のお稽古にでかける。
ひとしきり台風話でもりあがる。
前回の台風で徳山の下川先生のマンションでは11階のベランダに置いてあったスチール製の物置が6階の屋根まで飛んだそうである。
そんなものが当たった日には即死である。
雨の中、帯刀さんがいらしたので、一緒に「安達原」(帯刀さんがワキをしてくださるのである)のおさらいをして、仕舞「景清」の地謡をつける。
帯刀さんのようなベテランと並んで謡うと自分の声の軽さにうんざりする。しかし、芸歴が50年以上違うんだから、しかたがない。
雨風がひどくなってきたので、午後のお稽古は中止になり、帯刀さんを石屋川まで送って、家に戻る頃にはますます風が強くなっている。傘をさしたとたんに傘の骨がぐにゃりと曲がってしまった。
これはたいへんというのでびしょ濡れになって家に飛び込む。
もうどこにも出かけられないので、腰を落ち着けて、たまった仕事を片づける。
まず『現代思想のパフォーマンス』の「新書版あとがき」。
さらさらと書き上げてから、難波江和英さんの『恋するJポップ』(冬弓舎)の書評。これはライトなタイトルとは裏腹に、とても奥行きの深い論考である。
特に「Jポップ」の歌詞には「他者」が存在しない、という指摘は鋭い(もちろん、難波江さんは、そんな哲学用語の使用は自制しているけれど)。
コミュニケーションも自由も未来も、すべては「他者」への超越ぬきにはありえない。「私」のいらだちや、渇望や、心許なさといった「欠如の感覚」を、新奇なる「他なるもの」をもって満たすという発想法を取る限り、「私」は孤独のままである。
『時間と他者』や『存在するとは別の仕方で』でレヴィナスが説いたこととほとんど同じ知見を、難波江さんはJポップの歌詞の構造的な「貧しさ」を解析しながらていねいに取り出して行く。
よい本である。
しかし、この本の本質的な深みを理解できる読者はあまり多くはいないだろう(現に、これまでポップミュージック研究者からの書評で好意的なものは、ほとんどなかったらしい)。
若い読者の中にもこの本の意味がわからない人が多いかもしれない。
それは難波江さんが「やさしい人」だからである。
でも、「やさしい人」が若者にさしのべる「救いの手」を当の若者たちが振り払う、ということは十分にありうるのだ。
「そんなもの」を彼らはこれまで見たことがないからだ。
彼らがこれまで聞かされてきたのは、叱責か命令か要求の語調で語られたことばだけである。
難波江さんのことばはそのどれとも違う。
彼は救命ボートの船縁から身を差し伸べて「この手をつかめ」とおぼれる若者たちに合図を送っている。
でも、彼らはそういう種類の「好意」に触れたことがない。
「この人のやさしさには、なんか下心があるんじゃないの。なんか売りつけるとか、なんとか宗教に勧誘するとか?」
と鱶のような三白眼でにらむだけで、たぶん難波江さんの手にすがろうとはしない。
他者に向けて差し出された心づくしの贈り物の受難。
「やさしい人」はその点が気の毒である。
私は難波江さんのようにやさしくはない。
でも、溺れている諸君に多少の同情はしている。
救命ボートにまだ余裕があるなら乗せてやるにやぶさかではない。
でも、寒い水の中に手を浸けるのはできたら勘弁願いたい。
だから、私は漂流者に背を向けてボートの中で「宴会」をやる。
こちらが山海の珍味を喫しつつ高歌放吟していると、あっちの方から「なんか、愉しそうだな・・・」と放っておいてもにじり寄ってくる。
「乗せて」と言えば乗せてあげる。
「なんか下心あるんでしょ?」というような無礼なことを言うやつは、そのまま海に蹴り返す。
こういうのはスタイルの違い、生き方の違いで、どちらがいいとも悪いとも言えない。
たぶん私と難波江さんがペアで「救助隊」を組織しているのが、いちばん効率がいいのであろう。
それにだいたい私の乗っている「ボート」がそんなに安全なものかどうか、私たちにだってわかってないんだから、「是非乗せてください」というやつ以外はむりに誘わなくてもいいんじゃないのナバちゃん、と私は思うんだけど。
というようなことをさらさらと書評に書く。
1時間ほどで書き上げたので、次は『先生はえらい』の校正を仕上げる。投函しようと思ったが、風が強すぎて表に出られないので、断念。
三つも仕事をしたので、すっかり気分がよくなり、ゆっくりお風呂に浸かる。
湯上がりにワインを飲みながら、夕べ作ったポトフの残りを食べる。
味がしみて、たいへん美味である。
寝ころんで『デイ・アフター・トゥモロー』を見る。
表では風がゴーゴー、映画の中でも風がゴーゴー。サラウンド方式で大迫力(「おおさこ・ちから」ではない)。
明日は東京で共済医学会の特別講演という仕事がある。
9時の新幹線に乗らないといけないので、切り上げて早寝。
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(2004-10-21 21:18)