竹信悦夫くんを送る会

2004-10-20 mercredi

東京へ。
午後1時半から、本郷の医学書院にて、精神科医の春日武彦先生と対談仕事。
春日先生は『はじめての精神科』(医学書院)『何をやっても癒されない』(角川書店)などの著作のある、ダイハードな現場の精神科医である。
『はじめての精神科』は白石さん、『何をやっても癒されない』は角川時代のヤマちゃんが担当である。
期せずして、ウチダの担当編集者が二人そろって担当者であるというところから推して、「同系」の方であることは容易に類推されるのであるが、とりあえず初対面である。
春日先生が著書で述べられていることは、「精神疾患とは時間が停止することである」とか、「援助とは中腰のまま耐えることである」とか、ワーディングまで私と深く相通じるところがあるので、おそらく話が合うであろうとわくわくして本郷まで出かけたのである。
著書からなんとなく白髪温顔、痩躯鶴のごとき老医師を想像してでかけたら、対談会場で私を待っていたのは、茶髪温顔堂々たる体躯の若々しいお医者さまで、ちょっとびっくり。
でもお話を始めたら、予想にたがわず、かゆいところに手が届くように話が通じる。
時間と他者性、アナログ的知性とデジタル的知性、交換と好奇心など、私がまさに今考えている当の主題を春日先生が振ってくださるので、勢いづいてわいわいとしゃべりまくる。
この対談は医学書院の医学関係の新聞(担当は鳥居くん)にそのうち掲載される予定である。
これで名越康文先生と春日武彦先生という東西を代表する現場的精神科医のお話をじかにうかがう好機を得たことになる。
ウチダの机上の空論がこのようにして現場的知見によって検算してもらえるというのは、とてもありがたいことである。

お話が終わって、タクシーで一橋の学士会館へ移動。
チェックインしたあと、少し時間があったので、高橋源一郎さんの集中講義の講義録の編集をする。
MD録音した講義録をさっちゃんがテープ起こししてくれたのを、私がばんばん刈り込んで行くのである。なにしろ4日間の講義であるから、そのまま活字にするわけにはゆかない。削るのが惜しいフレーズばかりで、泣く泣く削ってゆく。
それにしても面白い。
高橋さんの講義録が活字化されるのは、これが最初である。
あのフレンドリーでかつ挑発的な語り口を採録した本邦最初のテクストが神戸女学院総文叢書のラインナップに並ぶわけである。
光栄であるとともにセールス戦略上たいへん好ましい事態でもある。

ぱしぱしキーボードを打っているうちに「竹信悦夫さんを送る会」の時間となる。
私が泊まっているのは学士会館4階で、会場は2階。
シャワーを浴びて、ダークスーツに着替えて、階段を下りる。
すでに会場はいっぱいである。
香港から浜田雄治くんが来ている。あたりを見回すが、大学時代の友人の顔は、あとは太田泰人くんしか識別できない。
開会の挨拶のあと、竹信くんの恩師である板垣雄三東大名誉教授の弔辞と朝日新聞社社長のしみじみとした弔辞があり、そのあとに大学時代の友人を代表して私が弔辞を述べる。
ほんとうは灘校時代の友人代表として高橋源一郎さんが弔辞を述べて、私が続くというクロノロジックな式次第だったのだが、高橋さんは山ノ上ホテルで文芸賞の授賞式があって、そこで祝辞を述べたあとに駆けつけることになっていたので、時代順がずれて先に大学時代の友人として私が挨拶をすることになった。
葬儀の席で弔辞を述べるというのは、はじめての経験である。
ふつうは遺影に向かって語りかけるのであるが、竹信くんに向かって「君は・・・」というようなことを言うのは、照れくさくて、とてもできない。しかたがないので、マイクを手にして、参会者に向きなおって竹信くんの思い出を語る。
オテル・ド・ラ・ヴィーニュのこと、朝日ニュースターのこと、遅刻のこと、ユダヤのこと、「寝ながら学べる・・・」タイトル命名のことなど、とりとめもない思い出を語る。
話しているうちに泣きたくなってくる。
献花のあと、会場を移してワインなどを飲みつつ、浜田くん、太田くんと歓談。
遅れてきた高橋さんがそこで中学高校時代の友人について、味わい深い思い出を述べる。
聞きながら、16歳のころの竹信くんと高橋さんの相貌が思い浮かんでくる。
みんな、それぞれに「私の竹信くん」の思い出を抱きしめて生きてきたのである。
散会後、仕事がある浜田くんと別れて、太田くんといっしょに、灘校のみなさんと、佐野泰雄くん(灘時代の竹信くんの同期生で、私の仏文時代のご同輩)のご案内で向かいの如水会館へ。
そのあと、さらに高橋さんと野木正英さんと三次会へ。
竹信くんの政治とのかかわりや、彼の「抑制の美意識」について、十代のころの彼の知られざる相貌を思い浮かべる。
高橋さんと一緒のときには、なんだかいつも竹信くんのことが話題になる。それだけ二人とも彼から深く強い影響を受けたということなのであろう。
野木さん、高橋さんの貴重な証言を拝聴し、ワインの杯を重ねながら、三人で、竹信悦夫というのは、どういう人だったんだろうね、謎だね、という話をいつまでも繰り返す。
死者は「存在するとは別の仕方で」私たち生者のふるまいにいつまでも影響を及ぼし続けるのである。
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