神戸牛にはもってこいの日

2004-10-15 vendredi

先週のフランス語の授業は授業時間を間違えて突発的休講にしてしまったので、まずそのことを教室で平身低頭して詫びる。
どうして間違えたかというと、先週の木曜は朝一でアセンブリーアワーというものがあり、そこで聖書にまつわるお話をひとくさりするというお仕事を仰せつかったからである。
人前でおもいつき話を繰り出すのは私の特技であるので、その点では問題がないのであるが、チャプレンや全学のよきクリスチャンの方々を前にして、という条件がつくと、それほど気楽にもいかない。
「コミュニケーション不全」というテーマで話をしますとだけ宗教センターに伝えておいたら、飯チャプレンが「バベルの塔」の話を引いて下さった。
これ幸いと、「誤解の余地を残すように構造化されたことによってコミュニケーションははじめて人間的なものとなった」という変痴奇論を展開する。
語ること9分。指定時間ぴたりに終わったのであるが、どっと疲れてしまい、「木曜の仕事は終わった」という深い達成感を得てしまった。
人間は達成感を得るとしばらく「次の仕事は?」という自問を失念してしまうものなのである。
12時過ぎに我に返って「あ、2限にフランス語の授業があったんだ!」と思ったときにはときすでに遅かったのである。
学生さまたちにはまことに申し訳ないことをした。ごめんね。

午後は専攻ゼミ(1)で、Y川くんがサリンジャーの『バナナフィッシュ』を論じる。
たいへんおもしろいプレゼンテーションだったのであるが、惜しむらくは残りのゼミ生十数名の中にこの作品を読んでいるものが一人もいなかったことである。
まさか『キャッチャー』を読んでないということはないだろうね…と不安になって訊ねてみると、これもゼロ。
ま、まさか…と『ギャツビー』を読んでいる人を訊ねてみると、これもゼロ。
『キャッチャー』とか『ギャツビー』とか『トニオ・クレーゲル』とか『異邦人』とかって、高校二年の夏休みあたりに必ず読むものではなかっただろうか?
うちのゼミの諸君は決して知的にチャレンジドな方々ではない。
ディスカッションはたいへん愉快だし、毎回課しているエッセイには、ずいぶんエッジの効いたもの含まれている。
しかし、どこか「突き抜けた」感じが足りないなあ…と思っていたのであるが、やはりそうであったか。
彼女たちの想像力は日本のマスメディアが提供するヴァーチャルな風景の外にはなかなか出ることがないのである。
発作的にゼミの読書リストに『ギャツビー』と『キャッチャー』と『日はまた昇る』を加える。

さらさらと小テストの採点をしていると院生のS田くんが、修論の相談に来る。
学術論文のライティングスタイルとして規範化されている作法がどうも肌に合わないというご相談である。
学術論文のスタイルには「アングロサクソン型」と「大陸型」の二種類がある。
社会科学系の論文は(理科系の論文に準じて)アングロサクソン型で書かれるのが普通であるが、宗教や哲学や文学などについて論じる場合は、論文を書きつつある主体自身の思考や文体そのものの被投性を遡及的に問うという面倒な作業を伴うために「大陸型」(フーコーやデリダやレヴィナスやラカンのような書き方)で書かれるのが普通である、ということをご説明する。
「大陸型」の書き手は「アングロサクソン型」の書き物をすらすら読めるが(だってわかりやすいんだもん)、「アングロサクソン型」の書き手は「大陸型」の書き物を理解しようとする努力を惜しむ傾向にある。
S田さんは宗教的経験・霊的経験について論述する予定であるようだが、こういう論文では鍵語(「神」とか「霊」とか)を一義的に定義することができない。鍵語を定義しないままで、「鍵語を定義しえない人間知性の限界性」そのものを問い返す作業をアングロサクソン型の論述で進めるのはかなりむずかしい(できないことではないが)。
学術性を確保しながら、学術性の基礎づけそのものを問い返すためには、言語的なアクロバシーが要求される。
まず「言葉を操る技術」がなければ、何も始まらない、というようなことをお話しする。
お役に立てたであろうか。

合気道のお稽古のあと、ぱたぱたと三宮に出かける。
鈴木晶先生がバレエを見に三宮までいらしているので、久闊を叙しつつ一献差し上げるということになったのである。
鈴木先生とお会いするのは高橋源一郎、加藤典洋両氏とごいっしょに鈴木家のワインセラーを急襲した「鎌倉、雨のBBQ大会」以来である。
鈴木先生はいつもテニス焼けでつやつやと輝くようなお肌をしていて、眼は黒々と輝いている。
ウチダの黒く隈取りされた「めばちこのジキル博士」顔と好対照である。
ずいぶん忙しくお仕事をされているようなのに、いつもにこにこ元気でうらやましい限りである。
Re-set のカウンターで国分さんと話相手に、シャンペンなどを呑みつつ、神戸牛のこと大学のこと翻訳のこと旧友のことなど笑いながらわいわい話しているうちに、あっというまに終電の時間を過ぎてしまう。
鈴木先生また鎌倉でバーベキューやりましょうね。
国分さん、グラタンご馳走さまでした!
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