鬼婆譚新解

2004-09-23 jeudi

一月ぶりに下川先生のお稽古。
ブザンソンに『巻絹』と『安達原』のテープと舞扇まで持参したのであるが、ついに一度もホテルの部屋でお稽古する機会がなかった。
やっぱ、フランスの秋の空と能楽はちょっとミスマッチだったか。
道順をほとんど忘れていたので、早起きして1時間半ほど謡と『巻絹』の仕舞の稽古をする。
リビングはフローリングでそこそこのスペースがあるので、仕舞のお稽古はやろうと思えばできるのである。でも、ここにもうすぐソファーが入ってしまうので、もうお稽古はむずかしくなる。
必死に予習していったので、先生には「なかなかしっかり稽古していましたね」とおほめいただく(泥縄なんだけど、ほんとは)。
10月の末に内輪の練習会があって、そこで『巻絹』の仕舞と素謡『安達原』のシテをやることになった。
『巻絹』は巫女が神懸かりしてトランス状態になるという舞。
これもむずかしいが『安達原』もむずかしい。
これはご存じ鬼婆のお話である。
私は「ふつうのリラックスばーさん」「警戒心をもったばーさん」「色気の出たばーさん」「挙動不審のばーさん」「鬼婆」を謡い分けなければならない。
ほかはともかく「色気の出たばーさん」というのが難物である。
なぜかというと、ちょっと長い話になる。
能の曲を見ていると、「一夜の宿を貸したまえ」という申し出に、宿の女主人が「いやです」とまず断るが、「そこをまげて」と押されると、やむなく一夜の宿を貸すことになり、そうなるとなんだかいきなり旅人さんと女主人がインティメイトな物語を始める…という展開が非常に多い。
今回役の解釈上『安達原』を熟読玩味した結果、これはもしかして「一夜の宿を貸す」ということは、あちら関係のことをも含意していたのではないかと想像されたのである。
鬼婆は最初は旅の僧の止宿をこう言って拒む。
「人里遠きこの野辺の。松風烈しく吹き荒れて。月影たまらぬ閨の内には。いかでか止め申すべき」
「月」が女性の menstruation を意味することは古事記以来の用語法である。「たまる」は「停止する」である。
「閨」はむろんベッドルーム。
つまり、「私はまだ現役です」とこの鬼婆は申しておるのである。
これに対して旅の僧が「ただ泊まらんと柴の戸を」ごりごり押すわけである。
しかたなく鬼婆は「さすが思へば傷はしさに」と根負けする。
これに地謡が「さらば留まり給えとて。樞を開き立ち出ずる。異草も交じる茅筵。うたてや今宵敷きなまし。強いても宿を狩衣」と続くのである。
「異草も交じる」ですよ。
そのベッドマットを「あらまあ今夜も敷くのかしらん…」「ふふふ、いやとはいわせんよ」という展開なのである。
そうして「今宵留まるこの宿乃。主の情け深き夜の」「月もさし入る」「閨の内に」というものすごくエロティックなデュエットが始まるのである。
網野善彦さんの本か何かで読んで驚いたのだが、中世において「旅をする」人間は性的には世俗的な規制を受けなかったらしい。
女性の一人旅が多く、それが安全に行われ得たのは、中世の治安がよかったからではなく、原則として、一人旅の女性がどこかで一夜の宿を借りるというのは、一時的アジールの提供の代償に、宿主と性的交渉を持つことが前提とされていたからであるというのである。
そういう中世における性規範を勘案すると、この『安達原』という物語が単なる恐怖譚ではないことが伺い知れるのである。
つまり、この陸奥深くに棲まう女性は性役割を逆にして考えると、「一時的アジールの代償に性交渉をすることを自明とする」旅の男たちと一夜かぎりの契りを繰り返してきたのである。
そして、そのときだけ男たちはちょっと「やさしいこと」を言ったりする。
『安達原』だと「かかる浮き世にながらへて。明け暮れ暇なき身なりとも。心だに誠の道に叶いなば。祈らずとても終になど。仏果の縁とならざらん」というふうに僧が鬼婆(ということはまだばれていない時点で)に「あんたかて、あんじょう念仏となえはったら成仏できまっせ」というふうに甘いことを言うのである。
そして、男たちはそういう甘い幻想に女をいっときひたらせておいて、払暁には必ず宿を去ってゆく。
そういうことを繰り返しているうちに、おそらく彼女は男たちを引き止めておきたくなったのであろう。
Ne me quittez pas  ベイビー、ドント・ゴーである。
しかし、男をとどめおく方法をこの芸のない「賤が女」は思いつかない。
彼女は何をしたのか。
おそらく男たちが旅を続けられず、そこにとどまる他ないように身体の一部を(おそらくは足を)切断したのであろう。
そうやって死んでいった男たちの死骸が「数知らず、軒と等しく積み置きたり」というのである。
そうやって思うと、鬼婆伝説はまことに切ないほどにエロティックかつホリブルな物語なのである。
素謡ではだいたい「飛ばす」ところがある(全曲やると時間がかかりすぎるからであると説明されている)。『安達原』では「賤が績麻の夜までも」から「音をのみひとり鳴きあかす」までの部分がショートカットされるのであるが、これはウチダ的解釈による物語の構成上で言うと、要するに「されているあいだ」なのである。
つまり、R指定だったんですね、これが。

三砂ちづるさんから本が送られてきた。題名は『オニババ化する女たち』。
おお、これは何というシンクロニシティ。
おそらく三砂先生が「オニババ」と呼んでいるのもまた、その性的衝動がうまく社会関係に表象されず、暴力性や排他性に転化した女性のことなのではないのかしら(まだ読んでないんだけど)。わくわく。
今週の土曜日は東京の朝日カルチャーセンターで三砂先生と対談なんだけれど、もしかすると「オニババ談義」になるかもしれないな。

網野さんのどの本か気になったので(私は記憶がいいかげんで、書いていないことを読んでしまうことがある)上のテクストをアップロードしたあとに、手元の本を調べてみた。
ちゃんとあった。
出典は『異形の王権』(平凡社ライブラリー)。関連箇所を少し引用しておく。

私はこうした一人で旅をする女性の場合、性が解放されていたのではないか、と考える。『御伽草子』の「物くさ太郎」に「辻取とは、男もつれず、輿車にも乗らぬ女房の、みめよきを、わが目にかかるをとる事、天下の御ゆるしにて有なり」とあることは周知の通りである。道を行く女性に対する女捕、辻捕は『御成敗式目』をはじめ法令でしばしばきびしく禁じられているにもかかわらず、一方では天下の公許ともいわれているのである。これは供も連れず、輿にも乗らないで道を歩く女性-一人で旅する女性が、男に「捕えられる」ことをむしろ当然とする慣習があったことを前提にしなくては理解できない。(…) ルイス・フロイスは『日欧文化比較』で、「日本では娘たちは両親にことわりもしないで、一日でも数日でも、ひとりで好きなところへでかける」「日本の女性は夫に知らせず好きなところに行く自由をもっている」といい、また「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉を失わなければ、結婚もできる」と嘆かわしげに書いているが、これは女性の一人旅の社会的背景をよく物語っているとともに、家父長権とむすびついた女性の貞操観念は、かなりのちにならないと固まらないことを示唆している。(91-93頁)

「一夜の宿を貸す」ということがエロス的関係をつねに含意していたのかどうか、それはわからないが、侠客映画の世界では、「一宿一飯の恩義」の代償がしばしばずいぶん高くつくことから推察して(健さんはたいていそのせいで「あんさんには何の恨みもござんせんが」と言いつつ大木実や菅原謙次を斬ってしまう)、「宿を借りる」というふるまいが起源的には単なるBed & Breakfast 以上のぬきさしならない関係を指示していたと考えることはできるだろう。
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