酒と薔薇の日々:讃岐編

2004-08-23 lundi

出発直前で荷造りやら、原稿書きやら、行く前に出す校正やらに追いまくられているのにもかかわらず、香川の守さんに招かれて「讃岐うまいもんツァーついでにちょびっと講習会付き」というイベントにでかける。
土曜の合気道の稽古が終わったあとにドクター佐藤のベンツに乗して(ウチダが勝手にドライバー兼助手として同行を命じたのである)、ソッコーで明石海峡をわたり、鳴門海峡をわたり、讃岐平野を疾走して、丸亀まで二時間余。
坂出のインターまで守さんがお迎えに来てくれたので、とりあえずオークラホテル丸亀に投宿(ここは前回、守さんにお呼びいただいて商工会のおばさまがたを相手にデタラメ講演会をやった会場である)。
遠く東京からおいでになった「ちりめん作家」(というのがどういうご職業のなか、結局最後までよくわからず、帰りの車の中でもドクターとふたりで思案するも結論が出ず)の高橋よう子さんとおっしゃる上品で端正なたたずまいの「おとなのおんなのひと」とごいっしょに丸亀でもっともトンガッタ料理を出すというA楽亭におじゃまする。
くくくと生ビールをのみほし(稽古が終わってから飲まず食わずで丸亀まで来たんだから)、冷たいワインを呑みつつ、ご主人が私たち四人だけのために造ってくれたスペシャルメニューをいただく。
あわびと桃の冷製から始まって、はも、湯葉、べら(べらがこんなに美味しい魚だとは知らなかった)、穴子ご飯と絶品揃い。
香川におけるゲイピープル事情、養殖魚ビジネスの恐るべき裏面、日本海溝の底にわだかまる「巨大なるクイーンうなぎ」の悪夢など…ご亭主のスパイシーなトークに涙をこぼして爆笑して、3時間半も長居してしまった。
ご飯とお話、どちらもごちそうさまでした。
天才的なひらめきを感じるお料理であったが、ご主人はあまりぞろぞろお客に来て欲しくないみたいなので(「めんどくさいから」らしい)、名前はあえて伏せさせていただき、一般人にはけっして探り当てられないように、あえて「丸亀のA楽亭」とするにとどめておきたい。

翌日は守さんに拉致されて、またまた高橋さんドクターと朝一で合宿免許から「一時帰宅」してきたウッキーと(どこが「帰宅」なんだよ)五人で、こんどは「明水亭」に「世界一うまいうどん」を食べに行く。
『東京ファイティング・キッズ』にも記したが、私は青春の一時期を「カレー南蛮そば」というものに淫した過去をもつ人間である。一度などは「朝昼晩」と三食、代々木の増田屋の「カレー南蛮そばもち入り」というのを食べたために、「カレー南蛮そばのオーヴァードーズ」による膨満感を経験したことさえある。
その後、関西移住を機に、でんぷんの基体を「そば」から「うどん」にシフトしつつ、「カレーなんとか」嗜癖を継続的に深化してきたのであるが、今般、守さんのご案内により、伝説の「世界一うまいカレーうどん」を摂取する機会を得たのである。
同行のひとびとはそれぞれ「世界一うまい地穴子の釜揚げうどん」とか「世界一うまい雲丹とろろぶっかけうどん」などを選択されたが、ウチダは迷わず「カレーうどん」。
これが期待していた形態とまったく違うものなので、まず一驚を喫する。
なにしろ「西洋料理の深めのグラタン皿」にデミグラスソース状の濃厚なカレーソース塗布した純白のうどんが鎮座し、その横にはエリンギのフライとヒレカツがそれぞれ二きれ添付されているのである。
「おおお、カツカレーうどん!」
これには意表を衝かれた。
カツカレーはハイブリッド食品であり、カレーうどんもまたハイブリッド食品である。
「カツカレーうどん」というものが、「メタ・ハイブリッド食品」というかハイブリッド食品のアウフヘーベンというか、とにかく世間の常識を蹂躙するものであることに違いはない。
で、お味はというと…
こ、これは…・めちゃうまいではないか!
この衝撃を味わいたい方はぜひ丸亀明水亭にお運びになって「世界一うまいカツカレーうどん」を発注せられよ。決して後悔することはないでありましょう。
もうすっかり満足して、「講習会なんかどうだっていいから、このまま帰っちゃおうか」状態(これは昨年、浜松でも「うなとろ」を食したあとにウッキーと私の口から同時に漏れたことばであった)になった一行であるが、満腹の腹をゆすりながら、のろのろと多度津の市民武道館に赴く。
講習会は日頃甲野善紀先生や光岡英稔先生の講習会にも参加されている守さん人脈の「武術フリークス」の中国四国九州方面のみなさん、およびウチダ本の読者のみなさん併せて40名ほどである。
洲本高校の山田先生ご夫妻、七月の光岡先生の女学院の講習会にいらした福岡の小川さんご夫妻や徳島のみどりあたま山下さんも見えている。
みなさん遠くからありがとうございました。
講習時間は3時間。
甲野先生や光岡先生の実技を見慣れている方々の前で、あれこれやってみせるとボロが出るだけなので、気の錬磨を中心とする多田塾合気道の術理について、「トーク半分・実技半分(実技も呼吸法、瞑想法、足捌きなど、ウチダの武術的実力がばれないようなプログラムを巧みに組み立てる)」。
それでも3時間はあっという間。
あれもやりたいこれもやりたいと思っていることの半分もできないうちにタイムアップ。
私はすごく愉しかったけれど、参加したみなさんはどうだったのであろう。
講習会後、「ビールビール」と呆けたようにつぶやくウチダを守さんがお連れ下さったのは猪肉の専門店「ことなりや」。
講習会参加者20名ほどの宴会。
イノシシの串カツ、ハンバーグ、お好み焼きなど、これまた冷たいビールによく合うものばかり。全員ひたすら笑いつつ食べつつ呑む。
この宴席において「守伸二郎さんを丸亀市長に」キャンペーンの開始をウチダが発議し圧倒的な拍手をもって迎えられた。
さらに守さんの文化活動への献身的パトロネージュへの感謝をこめて、以後守さんを「地上最強の呉服屋の若旦那」改め「丸亀のロレンツォ・デ・メディチ」と呼称したいという提案に対しても、満座を圧倒する「ブラヴォー」の声がわが耳を聾すばかりであったことも満腔のヨロコビをもって併せてご報告しておきたい。
いずれにせよ、21世紀の讃岐一円の文化的活動が守さんをキーパーソンに展開することは間違いないであろう。
守さん、どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします!
出発前の最後の仕事『インターネット持仏堂』の「あとがき」をすさまじい勢いで書き上げて、やれやれこれであとは『他者と死者』の再校だけだ・・・とほっとして、ワイン片手にあちこちのネット日記を眺めていたら、高橋源一郎さんの日記におもしろい話が出ていた。あまりに面白いので、再録させていただきます!
矢作俊彦さんから高橋さんが聞いたというお話。

矢作さんの話の中では、1989年、ゴルバチョフがパリ祭のために演説をしに来るというので、取材に行った矢作さんが、「ドゥマゴ・カフェ」で、ぼんやり、本を読んでいたら、隣の席のピンクのスーツを来た男の毛むくじゃらの手が見え、しかもその男、やたらと落ち着きがないので、ちらりと本から視線をあげたら、なんと長嶋茂雄! という、信じられないような事件が面白かった。パニックに陥った矢作さんが「長嶋……だ」と呆然としつつ呟くと、長嶋さんはいきなり矢作さんの手を握って「お久しぶりです!」といったとか(長嶋さんは初対面の人にでも、そういうらしい、と矢作さん)。テレビの仕事で来ていた長嶋は、そのまま、テレビ局の人間と消え、矢作さんは、なにも話せず、ただ見送っただけだったそうだ。もったいない!

というお話。
佳話ですね。
誰にあっても「お久しぶりです!」なんて、長嶋さんてほんとに素敵な人ですね。
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