吸血鬼対狼男対フランケンシュタインの「ぼくたち仲良し、トランシルバニア・ファミリー!」の巻

2004-08-19 jeudi

『エピス』の初仕事で『ヴァン・ヘルシング』を見にフェスティバル・ホールにでかける。
映画評の仕事を引き受けたら、それからばんばん試写会の案内が送られてくるのであるが、見たい映画があまりない。
試写会のチケットを使うのはだからこれが始めて。
『ヴァン・ヘルシング』は題名からして吸血鬼ものだし、監督は『グリード』(Deep rising) を撮ったB級兄ちゃん (Stephen Sommers) だから、爽快にけらけら笑って見られるかと思ってでかけたのであるが…
考えてみたらフェスティバル・ホールでプレビューをするということ自体警戒すべきであった。
割り当てられた席は二階席の壁の三つ前。
スクリーンとおぼしき白い四角がはるか50メートルくらい先にかすかに明滅している。
客のほとんどは女性。
みんなロビーでパンを食べている。いかにも場なれた感じだ。
おそらく女子の中には試写会の招待券の類をゲットすることにきわだった固着と才能を持つ人がいるのであろう。
映画が始まる前に甲高い声の女が大音量で前説をする。
あまりの音に耐えきれず「ううう」と両耳を抑える。
周囲の人々はその大音量を平然と聞き流している。タフだなあ、都会生活者は。
何の予備知識もなしに映画を見るというのが私のスタイルであるのだが、変な前説のせいで、主演が『X-メン』でもみあげを生やしていた暗い顔の兄ちゃん(Hugh Jackman)であることが判明して、急速に期待感がしぼんでゆく。
どうしてこの男が「世界で最も美しい男ベスト50」に選ばれたりするのか、よく理解できない。
ヒロインの Kate Beckinsale もただの意地悪なヒス女にしか見えないし…
主演の二人が喧嘩したり、仲直りしてキスしたりしても、まるで、ぜんぜん、何の興趣も起こらない。
「割れ鍋に綴じ蓋ってか…」と小さな声でつぶやく。
でも、イントロの出来は悪くない。
30年代のユニヴァーサル映画や50年代のハマー・フィルムの三文ホラーを思わせるセピアの画面にコテコテの演出。
画面は昔っぽくいのけれど、音響だけめちゃめちゃよい。
なるほど。
30年代のホラー映画(『キングコング』とか『ノスフェラトゥ』とか)を音響だけばりばりのドルビーシステムにして再上映したら、変なリメイクよりずっと面白いんじゃないかな。
でも、テンポがよかったのは、ノートルダム寺院でヴァン・ヘルシングがカジモド=ハイド氏と戦うところまで(冒頭シーンの「途中まで出来かけのペンキ絵風エッフェル塔」がウチダ的には気に入ったけど)。
ヴァチカンの地下にMやQがいてジェームズ・ボンドに次のミッションと秘密兵器の説明をするというあたりから「引用」の過剰さにちょっとうんざりしてきた。
あとはときどき時計を見ながら「いつ終わるんだろう…」と時間を数えていた。
この監督の映画は『ハムナプトラ』もそうだけど、(それにしてもひどい邦題だなあ。原題は『ミイラ』(The Mummy) と『ミイラの逆襲』(The return of the Mummy)。いいよね。こっちの方が判りやすくて)テレビでやるなら見ても良いけど、とてもお金を出して見に行く気にはならない。
こういうタイプのバカ映画は、「へへへ、バカですんません」というふうにこそこそとご政道の裏街道をはいずってゆくのがつきづきしいありかたであって(それだったら、私も一肌脱いで応援してもいいぞ)、大新聞に広告を打って「オープン興行収入41カ国で世界新!」というようなど土派手な宣伝をして上映するようなのは、なんだか楽しみ方の筋が違うような気がする。
映画が終わった後、観客たちは暗い顔をして無言のままとぼとぼと四つ橋線の駅に向かって歩いており、プレスシート付き、おまけのヨーヨー付きの格安前売り券を買っている人間はひとりもみかけなかった。
いつも書いていることだけれど、邦題をもう少しなんとかする気はないのであろうか?
タイトルをつけるのは私の特技であるから、配給会社が依頼してきたら、タイトルなんかいくらでもつけて差し上げる。
『ヴァン・ヘルシング』はいくらなんでもタイトルとして無芸だろう。
ドラキュラ狩りの専門家はブラム・ストーカーの『ドラキュラ』以来「ヴァン・ヘーシング」と言い慣わされてきた。
古くはピーター・カッシングの当たり役(なんと五回もヘーシング教授を演じている。ついでにフランケンシュタイン博士の役も五回やっている)。
コッポラの92年版『ドラキュラ』ではアンソニー・ホプキンスがヘーシング教授を演じた(このコッポラ版ドラキュラはほんとに豪華な配役で、ドラキュラがゲイリー・オールドマン、不動産屋のハーカーがキアヌ・リーブス、スクリーミングクイーンがウィノナ・ライダー、ドラキュラの花嫁がモニカ・ベルッチ)。
どうして聞き慣れた「ヘーシング」を「ヘルシング」に変更したのか、その必然性がよく判らない。Helsing の l は母音化しやすい子音だから、これが「ヘォシング」とか「ヘゥシング」という音に聞こえるのは音韻論的には必然的なことだ。
だから「ヘーシング」の方が「ヘルシング」よりも原音に近い表記だと思うのだが、どうしてわざわざそれを変更したのか…
やっぱりここはきっちりと内容をふまえて『吸血鬼対狼男対フランケンシュタインの怪物大戦争!』とやるのがタイトルの王道ではないのか。
お、そういえば、この登場人物たちって、まるっと『怪物くん』のキャラじゃんか。
じゃあ、いっそ『怪物くん(たち)』でもよかったんだ(藤子・F・不二雄先生と吉本隆明先生のお許しが出ればだけど)
というわけでタイトルについては配給会社の見解をお聴きしたいものである。
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