ブルーノくんからメールがきた

2004-08-16 lundi

パリのブルーノくんからメールが届く。
ひさしぶりの連絡である。
ブルーノくんは私の合気道フランス人弟子第一号(第二号以下がいないんだけど)である。
たしか 97 年のブザンソンでのフランス語研修のときに知り合った知日派青年である。
うちの学生の一人がバスを乗り間違えて、ブザンソン郊外の山の中のバスの終点で降ろされておろおろしているときに、「どうしましたか?」と日本語で訊ねてくれた人がいた。日本の武道と日本文化が大好きで、私どもの研修先でもあるCLA(フランシュ=コンテ大学応用言語センター)で日本語を勉強していたブルーノ・シャルトンくんの知遇を得たのはそれがきっかけである。
翌日ブルーノくんにお会いして、学生を助けてもらったお礼を申し上げた。
そのとき、「どうして日本語を勉強してるの?」とお尋ねしたら、「実は日本の武道が大好きで…」という話になり、お礼もかねて彼が稽古をしていたガルシエ道場をお借りしてマンツーマンで合気道の稽古を行うことになったのである。
ブルーノくんは当時柔道初段であったが、合気道については「そういうものがある」という程度の知識しかなく、呼吸法と基本技をいくつかお教えした。
勝敗強弱を論じず、よく生きよく死ぬために、人間ひとりひとりの蔵している潜在能力の開花をめざすという武道の考え方が、それまでスポーツ武道しか経験したことのなかったブルーノの「ツボ」にはまったらしく、「今日からお師匠様と呼ばせていただきます」という話になった。
私は「師弟関係」というのは実定的な技術や情報の授受関係ではなく、「知っていると想定されている主体」が「弟子=分析主体」の欲望の焦点となる「転移」現象であるするラカン派の立場にあるので、私を「先生」と呼ぶすべての人々に「はい、はい」とにこやかにお答えすることにしている。
「弟子」というのは、「外部から到来するものに対して開放的であること」ということに他ならず、そういう構えができる人は、こちらがほうっておいても、教えていないことまでどんどん学んでしまうものだからである。
ブルーノくんはその後ブザンソンで警察に入り、順調に出世され、三年ほど前からはパリ警察にお勤めである。警察学校卒業のときは「武術では首席でした」とヨロコビのお手紙をいただいたことがある。
その後、ブルーノくんは日本に武道修業に来て、わが家にしばらくホームステイするはずだったのだが、出発間際シャルルドゴール空港から「空港でパスポートと財布を盗まれ、数年来たのしみにしていた日本旅行ができなくなりました」と涙声で電話がかかってきた。お巡りさんがスリにあっちゃダメでしょ。
前回 2001 年のブザンソン滞在のときは現地到着から出発まで、ブルーノくんにはフルアテンダンスでお世話になった。
合気道修行中の日本人留学生のコッシーくん(元気ですかー。福岡のラーメン美味しいですか?)、ユリちゃんらにも女学院のスタジエールの面倒をみて頂いた(ユリちゃんは、帰国後自由が丘道場に入門し、ゴンちゃんやウッキーと仲良しになった)。
というふうに因縁浅からぬブルーノくんであるが、お会いするのは3年ぶりである。
いまはパリにちゃんと日本人の彼女がいて、8区のアイゼンハウアー通りの警察署にお勤めである。
今回はもうフルアテンダンスというわけにはゆかないけれど、パリ滞在中にはお会いできるし、私たちがブザンソンにいるあいだにバカンスを取って帰省するそうであるから、向こうでも遊べそうである。
パリには同時期に飯田先生も来ているし、女学院卒業生の小野さんも待っているし、なんだかずいぶん賑やかなことになりそうである。
--------