るんちゃんが芦屋に来ているが、昼夜逆転生活を営んでおられるので、なかなか会えない。
私が起きるころに寝て、私が寝る頃に先方は活動のピークなので、三日間一つ屋根の下にいながら、会話した時間はまだ30分くらい。
ご飯もいちどもご一緒したことがない。
お元気に過ごされているのであればよいのであるが。
やっほー、元気?
ようやく夏休みらしい日が始まったので、合気道のお稽古のあとに、とりあえず医学書院のゲラを片づける。
これは去年の8月から今年の3月にかけて朝日カルチャーセンターでやった身体論の講演をテープ起こししたものである。
話しっぱなしで終わってしまうはずのものが、こうやって活字になって残るというのは不思議なものである。
あきらかに、その場で思いついて適当にしゃべって、そのまま忘れかけたアイディアが散見されるのだが、ゲラを読み返してみると、いちばん面白いのは、そういうところである。
講演はその場のひとだけを相手にしているので、「ここだけの話」(Entre nous) という一種の親密性があって、文字に書いて公開することがいささかはばかられるようないい加減な話もつい口をついて出てしまう。
でも、通読していちばんわくわくしたのは、「沈黙交易はコミュニケーションの始原的形態である」と「現象学は幽霊学だ」というふたつのヨタ話であった。
このあいだの高橋源一郎さんの集中講義でも、「その場で思いついた話」をしているときがいちばん面白かった。
「その場で思いついた話」と「かねて準備をしてきた話」を聞き分けるのにはコツがある。
分りやすい指標は「その場で思いついた話」は「くどい」ということである。
「くどい」というと語弊があるが、同一のテーマが繰り返し形式を変えながら演奏されるのである。
それは山登りにも似ている。
登り道は山の周りをスパイラル杖にくるくる回っている。
だから定期的に「同じ景色」が見える。
「なんだよ、さっきと同じ景色じゃないか」と文句を言ってはいけません。
実際にはぐるぐると回っているあいだに高度は少しずつ上がっているのである。
そのうちに気がつくと、「同じ景色」だったはずのものがまるで「違う景色」になってしまうのである。
自分のゲラを読んでいても、その場で思いついた話はくどい。
同じことばが何度も繰り返される。
酔っぱらいが、カウンターで同じ話を最初から最後までもう一度繰り返すのとちょっと似ている。
あれは自分の話に本人が「感動」しちゃっているのである。
いい映画を見ると、もう一度はじめから全部見直したくなるのといっしょである。
赤ペンで真っ赤になったゲラをクロネコヤマトで医学書院に送って、今日の仕事はおしまい。
るんちゃんご推奨の『池袋ウェストゲートパーク』を見る。
たいへん面白い。
長瀬くん、妻夫木くんはじめたいへんに「つきづきしい」キャスティングであるが、とりわけ窪塚洋介くんを「そのあと飛び降りる人」だと思って見ると、「いかにも」という感じがする。
業務連絡
能のチケット(10、000円)が二枚あまっています。会の当日が合気道の合宿なので、私は行けません。このままでは無駄になってしまいますので、興味がある方に差し上げます。ご連絡下されば、先着二名さまに郵送します(もちろん無料)。「チケット希望」と書いてメールでご住所ご氏名をお知らせください。
観正会定式能別会
とき:9月18日(土) 午前11時始め(10時開場)午後5時ころ終演予定
ところ:湊川神社神能殿
番組:能:『清経』(上田大介)・『木賊』(笠田稔)・『望月』(下川宜長)狂言:『鳴子遣子』(茂山千之丞)ほか仕舞8番。(下川先生は私の能楽の師匠であります。これは必見)
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(2004-08-15 12:15)