交換と欲望

2004-08-11 mercredi

相模原なる母のところにお盆のご挨拶に伺い、ついでに「上納金」を献上する。
私は印税が入ると、その「あぶく銭」の一部を母上に定期的に上納している。
これは別に私が親孝行であるとかそういうことではなく、これを「呼び水」として、さらなる貨幣の流入を策しているからなのである。
いわば私利私欲のための利他的行為。ホッブズやロックが聞いたら泣いて喜ぶ「近代市民」的マナーを私は粛々と演じているのである。
貨幣は退蔵してはならない。
というのは、お金はその本性上「運動」を好み、「停滞」を嫌うからである。
お金は「フロー」しているところに集まり、「ストック」されているところから逃れる。
これは貨幣というものを人類が発明したことの本来の目的を考えれば当然のことである。
貨幣は交換を加速するために発明された。
貨幣の本質は経済学者たちがただしく指摘しているように「それを別の何かと交換しない限り、何の意味も持たない」という商品性格のうちにある。
たとえば、私が1円玉を所有しているとする。
1円玉が机の引き出しの隅にシャープペンシルの芯とかインクの切れたボールペンなどとまじって転がっていても、私はそれを交換の場にただちに投じなければとは思わない。
まあ、いいよ1円くらい、と退蔵して惜しまない。
ところが、ここに3億円あって、それが居間の片隅にジュラルミンのケースにはいって転がっていると、まあ、いいよ3億円くらい、というわけにはゆかない。
泥棒にはいられても困るし、火事になっても困る。『水屋の富』じゃないけど、心配で仕事も手につかないし、外出もままならない。
だから、とりあえず銀行に預けるとする。
これは貨幣を居間の片隅に放置している「ストック」状態から金融市場という「フロー」に投じたということを意味する。
預けた本人は気づいていないが、銀行に預けるというのは、「口座から引き出して私的に費消する以外のすべてを他人に与える」というのとほんとうはあまり変わらないのである。
で、1円と3億円の本質的な違いはどこにあるかというと、「消費するまでの切迫度」の違いにある。
私が臨終のときを迎えたときに手元に1円残っていてもぜんぜん口惜しくないが、使い残しの3億円が残っていたら、すごく「損した気分」になる(と思う、なったことがないからわからないけど)。
3億円の貨幣とはそれを「フローに投じたい」とする切迫感が1円玉の3億倍激しい商品ということである。
だから、「日本銀行券は明日から使えなくなります」と言われたときに使い残しの3億円紙幣があった場合、私はぜったいそれを燃やすか海に投じるか、せめて物理的に「別のかたちのもの」にすり替えようとするはずである。
貨幣の本質はまさに「それをそれ以外のものにすり替えなければならない」という切迫のうちにある。
だから貨幣には使用価値のないものが選択されてきたのである。
「貨幣で貨幣を買う」投機的な活動が本質的に反=人間的であるとされるのは、それが「別のもの」を欲望することを止めてしまったからであるが、それはまた別の話。
交換を加速するものが好まれるという点では、言語的メッセージの場合も変わらない。
言語的メッセージとして「価値があるもの」とは、そのメッセージを受信した人が「反対給付」の義務感をつよく感じるものである。
「反対給付」とは要するに「応答」のことである。
「ふーん」という気のない応答しか呼び起こさないもの(もっとひどい場合は、受信したことさえすぐに忘れてしまうようなメッセージ)と、受信者が「へえええ、そうなんだ、ふーん。あ、そうか、なるほど、似た話、ぼくも知ってるよ。それはね・・・」というふうに話を転がしたくなるようなメッセージでは、後者の方が交換加速性が高いということはどなたでもおわかりいただけるであろう。
多くの人々は言語的メッセージの価値は、それが内在させている真理や言明の整合性によって決まると思っているが、それは短見というものである。
そうではなくて、より多くの応答メッセージを喚起するメッセージこそが、「交換」という尺度で考えた場合には「価値のあるメッセージ」なのである。
学術の世界では、論文の価値の尺度として「被引用回数」というものが用いられることがある。
それは当該論文の学術的な精密さや客観性と直接にはかかわらない。
かりに批判的な文脈での引用であっても、ある論文が繰り返し引用されるのであれば、その論文には、ある種の問題群を前景化させ、「論じやすいかたちに整えた」手柄が帰せられる。
「被引用回数」の高い論文の特徴は、「誰にでもアクセスできる論件」(だからこそ、多くの人が論駁、追試できる)を「他の誰もしなかった切り口で論じた」(だからこそ、他ならぬその論文が引用される)ことにある。
開放性と独自性、ユーザーフレンドリーとユニークさという両立のむずかしいものを両立させること、それが「反対給付の欲望」に点火するメッセージの特質なのである。
それはビジネスでも恋愛でも変わらない。

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