こんな先生に習いたかった

2004-08-07 samedi

高橋源一郎さんの集中講義が終わってしまった。
なんだかすごく濃い、夢のような四日間であったので、門戸厄神の駅前で、「こんどは東京で遊びましょうね」と約して手を振ってお別れしたあと、なんだかすとんと虚脱した感じになる。
とくに最終日はものすごくドライブのかかった文学論=物語論で、文字通り「手に汗握る」5時間であった。
これほど知的に興奮したのは、ほんとうに久しぶりのことである。
高橋さんは現代を代表する作家であり、「地上最強」の批評家であることはみなさんご案内のとおりであるが、教師としても卓越した資質を持った人であることが、「生徒」として四日間教壇を見上げていて、よく分った。
私のいちばん率直な感想は(笑われるかも知れないけれど)「こんな先生に習いたかった」ということである。
中学生のときでも大学生のときでも、どこかで高橋さんに生徒として出会っていたら、私はもう少しまともな文学研究者になっていたかもしれない。
教師にいちばん必要なのは、知識でも批評性でもなく、「愛」である。
というか知識も批評性もラディカリズムも、どれも「大いなる愛」がないと人を動かす力は持たないということである。
ソクラテスは「産婆術」ということを言ったけれど、高橋さんはその意味で「マザーシップ」の人だった。そのことがよくわかった。
「マザーシップ」(マザーフッドじゃなくてね)というネオロジスムに固有の含意については『東京ファイティング・キッズ』に書いたけれど、高橋さんは「文学のお母さん」であった。
それは最後の時間に、生徒たちが(おそらくほとんどの人が生まれてはじめて)書いた「小説(のようなもの)」について高橋さんが、厚みのあるゆったりした声で朗読し、それらの断片が潜在させている可能性のひとつひとつをピンセットで拾い上げるように、ていねいに光にかざし、その最良の部分を示してくれる手際において際だっていた。
そうかー、今の日本に決定的に欠けているのは「マザーシップ」なんだ・・・ということを私は深く深く得心したのである。
どう得心したのかについては、これから後、いろいろな主題について折に触れて書くことにしたい。
高橋さんほんとうにありがとうございました。
ウチダは半世紀にわたる長い蒙昧から今回ようやく少しだけ目が覚めました。
私は「おじさん」の看板をおろして、今日から「お母さん」になることにします。

集中講義が終わった足で池上先生との対談本の「部分取り」で、毎日新聞の中野さんと三宅先生ご夫妻と三宮の「伏見」へ。
おいしいお寿司をぱくぱく頂きながら、三軸自在と合気道の関連についていろいろとおしゃべりする。
高橋さんの講義の余韻がまださめない軽い躁状態なので、なんだかやたらと舌がよく回る。
9時過ぎまでおしゃべりをしてからあわてて家に戻る。
日本縦断徒歩の旅の途中で、兄ちゃんが来ているのである。
今回は呉から広島への旅。
日本人はどうしてこんなになっちゃったのか・・・ということについて兄弟でまたまた熱く語ってしまう。
兄ちゃんを送り出してから、「お母さん」としての最初の仕事はゼミと京大の集中講義のレポートの採点。
なんだかいつもよりずいぶん点が甘くなってしまった。
マザーシップというのは、別に「甘い」ということじゃないんだけど、まだ「新米お母さん」だから、やり方がよくわからないのである。
京大のレポートは三分の一くらいが「光岡先生の話を聴いて、ものの見方がまったく変わった」という感想を述べていた。
百聞は一見にしかず。
光岡先生の動きを見て、その温顔と驚嘆すべき知力と勁力に触れて、京大生諸君が「身体に対する敬意」を持ち始めてくれたというのであれば、岡山から遠路お越し願った甲斐があったというものである。
光岡先生、ほんとうにありがとうございました。お礼申し上げます。
高橋さん、三宅先生、兄ちゃん、(ヴァーチャル)光岡先生と、短い時間のあいだに強烈な個性と立て続けにコンタクトしたので、なんだかくらくらする。
--------