たしか「夏休み」というものが始まったらしいのであるが、私には何の実感もない。
ひたすら忙しい。
台風が来そうで、外では轟々と風が吹いている。
机にしがみついて『東京ファイティング・キッズ』の初校を仕上げて、宅急便で送稿。
ただちにとって返し、『ユリイカ』の「はっぴいえんど」特集号の大瀧詠一論を書く。
こういうのはほんらい「締め切りなので必死に書く」という種類のものではないのだけれど、いつのまにか締め切りになってしまったのだから仕方がない。
大瀧詠一の音楽史の方法をフーコーの系譜学に連なるものとして評価するという趣旨の論考である。
最初は「大瀧は・・・」というふうに書いていたのであるが、どうもなじみがよくない。
結局「大瀧さんは・・・」と敬称付きにして、文体も「ですます」の敬体に直したら、筆の運びがよくなった。
身近な誰かに話しかけているような文体だと、ものごとの説明の仕方が微妙に違ってくる。
身近な分だけ説明が「ていねい」になると、それと同時に「大胆」にもなる。
「ま、ここだけの話だけどさ・・・」的な暴走が始まるからである。
インティメイトかつワイルド、というのが「リーダー・フレンドリー」文体の手柄である。
不思議なものである。
6時間ほど、息を詰めるようにして一気書きする。
約束は20枚だったのであるが、いつのまにか30枚を越してしまった。
考えてみたら音楽論らしきものを書くのは生まれてはじめてのことである。
音楽については、ディープでトリヴィアルな知識の持ち主がうじゃうじゃいるので、うかつな知識を披瀝するわけにはゆかない。
大瀧詠一ご本人でさえ、ラジオ放送のあとには「こんなことも知らないのか」という投書がくるそうであるから、世の中は広い。
まして、今回のお相手はコアなナイアガラーのみなさんである。
この方々が熟知している分野に足を踏み込んでは勝負にならない。
メディアに寄稿するときは、そのメディアの読者層が詳しい話題を意図的に「はずす」のが戦術上の基本である。
情報誌には哲学のことを書き、学会誌にはホラー映画のことを書き、哲学書には武道の術理のことを書いていると、誰にも咎められずに「言いたい放題」ができる。
そして、専門家からのツッコミを恐れてびくびく書くよりは、怖い者なしで言いたい放題に書いたものの方が(学術的厳密性はさておき)、生産的なアイディアを含むことが多いのである。
11時近くまで書き続けて、ようやく初稿が出来上がる。
やれやれ。
ワインを一杯頂いてから、『ホムンクルス3』を読みながら寝る。
外はまだ風が吹いている。
高橋源一郎さんのホームページにおもしろい記事があったので、ちょびっと転載させていただきます(高橋さん、いいですよね?)
高橋さんは韓国に行ってたのだけれど、そのときの話。
韓国には徴兵制があって、その期間は2年2カ月ほど。ということは、大学生は大学在学中にほぼ必ず軍隊に行くことになる。つまり、いったん入学して、軍隊に2年、それから復学して、卒業ということになる。ということは、恋人がいると、2年ぐらい別れることになるわけです(面会もできるが、もちろん、滅多にはできない)。よって、その恋人たちが、復学後、別れる率は 90% 以上。復学してみると、入学した頃の知り合いもほとんどおらず(しかも、ガールフレンドには振られ)、孤独な自分を発見して愕然とする、というのが「ふつうの」韓国人大学生なのだ。しかも、軍隊での2年間はすることもないので、徹底的に人生について考えてしまう。だから、復学した学生は、たいてい「暗い」し、同時に「猛烈に勉強をはじめる」のだそうだ。そして、卒業して社会に出る頃には、25歳か26歳になっているのである。つまり、韓国人大学生は国家の手によって強制的に「大人」にされてしまうのだ。そこで最近増えているのは、海外(アメリカとかで)で韓国人男子と知り合った日本人の女の子(大学生)が、その「大人っぽさ」に引かれて、韓国に留学し、そのまま結婚してしまう例だ。「幼い」日本人の男の子と比べて、韓国人の男の子は、格段に社会や他人に「もまれて」いるのである。「それって、みんな、獄中体験があるようなものですよね」というと、スヒャンさんは「そうです!」とおっしゃった。ぼくも拘置所に10カ月入って、出て来たら、当時のガールフレンドに「別れたい」といわれたことを思い出した。あれを、韓国人学生はみんな味わっているのか! 正直、「それなら、日本でも、徴兵制を敷いた方がいいですね」といいそうになりました。
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(2004-07-31 11:41)