炎天下、カレーで飛ばす二日酔い

2004-07-27 mardi

ナメカタくんが神戸に来る。
二年ぶりである。
ナメカタくんは大学1年生のクラス、悪名高き45LIII9D(ヨンゴーエルサンキューディー)の同級生である。
1969年に東大の入試が中止となったことはよく知られているが、東大がスラム化しつつあった1970年に、開校以来最も成績の悪い学生たちが入学したという歴史的事実の方はあまり知られていない。
「良い子」のみなさんは東大を敬遠されて京大とか一橋とかに行ってしまったので、柄の悪いのばかりがその年駒場には集まったのである。
LIII9Dはその最悪の学年の中のさらによりすぐりの悪ガキクラスであり、私はどういう因果か、磁石に吸い寄せられるように必ずそういうクラスに入ってしまうのである。
そのクラスで私は久保山くんや浜田くんや伊藤くんや松本くんやトンペーくんや梶井くんやナメカタくんと友達になった。
きな臭い時代で、ずいぶん危ない目にも遭ったけれど、さいわい二人とも悪運が尽きず、無事五十路を越し、いやいやどうもどうも神戸も暑いねと三宮の源平で寿司をつまみつつ冷たいビールなどを酌み交わすことができる年回りとなった。
ナメカタくんは激動の銀行業界の人なので、いろいろとご心痛の種が尽きないらしい。
まあ、浮き世の憂さをはらってご一献ということ Re-set に河岸を替えてさらに献酬したせいで、今朝は久しぶりの二日酔い。
ナメカタくんは朝から銀行員としてお仕事をされていたはずである。さぞや苦悶されたことであろう。すまぬ。

よろよろと起き出して歯医者へ。
治療中の奥歯は「あと少し持たせましょう」ということになり、へろへろの前歯は「こりゃ、ちょっと危ないかなあ」ということで治療開始。
歯と目は私の弱点である。
歯がダメで、目もみえないということは、野生動物であったら捕食行動ができないということである。
さいわい人間であるおかげで、飢え死にしないですんでいる。
でも、人間以外の哺乳類に生まれたら「もう死んでいる」という身体的条件のもとで生きさせて頂いているという事実はよくよくかみしめておいた方がいいと思う。
まことにありがたいことである。
よろよろと家にもどって「まるちゃんの天ぷらそば」(これについては後乗せサクサクか、先乗せグチャグチャのどちらが美味しいかについてドクターが長文の研究を報告されていたが、私は「先乗せグチャグチャ」+生卵投入派である)。
お腹がいっぱいになったら、眠くなってきたので(毎日これだな)ずるずるとベッドにはいずっていって山田風太郎の『くの一忍法帖』を読みながら眠る。
こういう本を読みながらぐうすか眠れるというのが「爺」になることの醍醐味である。
小学校六年生で忍法帖シリーズを親の目に隠れて読んでいるころは、もう興奮しちゃって目が閉じられなかったからね。
しかし、寝てばかりもいられない。
午後3時から自己評価委員会。
きもちのいいベッドから引きはがすように身を起こして、会議の仕込みをしてから炎天下大学にでかける。
会議は2時間。
会議は長くやっても得るところはないというのが私の持論であるので、定刻に始めて定刻に終えて、ソッコーで家に戻り、夏野菜カレーをつくる。
鈴木晶先生の日記を見ているうちに、発作的に辛あああいカレーが食べたくなったのである。
大蒜、タマネギ、パプリカ、オクラ、茄子、マッシュルーム、鶏肉をバターとベーコンとぐいぐい炒め、そこにカイエンペッパー、レッドペッパー、ブラックペッパーをばさばさ入れて、悶絶的に辛いカレーを作る。
うう美味しそうだぜ。
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