無拍子に打つべし。打つべし。打つべし・・・ってギャグがわかるのは50代以上だけか

2004-07-25 dimanche

というわけで本日から晴れて夏休みになったわけであるが、簡単に休ませてはいただけない。
よろよろと起きあがって、洗濯をしてからPCを起こしてジャンクメールをばしばしとゴミ箱に棄ててからメールにご返事を書き、日記を更新。
お昼になったので、芦屋の体育館に走り込んで、一週間ぶりの合気道。
光岡先生と会った直後なので、まだ身体に「意拳の残り香」が沈殿している。
合気道の基本的な動きをしていても、「おお、これも意拳の理合にかなっている・・・」という気づきが随所に感知せらるるのである。
「正しいとき、正しい場所に、正しい形で入る」という光岡先生のことばは単に身体運用に限らず、人間のあり方についての実に汎用性の高い知見を語っている。
「正しいときに」というのが少し理解にむずかしい。
「かたち」を見て取るためには、便宜上動きを「停止」させて、その静止画像を記憶に取り込むことが必要である。
でも、それだと「時間」が捨象される。
例えば、演武を見て形を取るときに、いちばん重要なのはおそらくどのような「とき」にどのような動きをしているかということなのだけれど、動きの「形」を写し取って記憶に保存することに夢中になると、いきおい「とき」のデータは希薄になる。
「拍子」ということが伝書ではよく書かれているけれど、これは「相対的な時間意識」ということに言い換えられるだろう。
柳生宗矩の『兵法家伝書』にはこうある。

あふ拍子をあしし、あはぬ拍子をよしとす。拍子にあへば、敵の太刀つかひようなる也。拍子がちがへば、敵の太刀つかはれぬ也。敵の太刀のつかひにくき様に打つべし。つくるもこすも、無拍子にうつべし。惣別のる拍子は悪しき也。
たとへば上手のうたひはのらずしてあひをゆく程に、下手鼓はうちかぬる也。上手のうたひに下手鼓。上手の鼓にへたうたひの様に、うたひにくく、打ちにくき様に敵へしかくるを大拍子小拍子、小拍子大拍子と云ふ也。

「拍子が合う」というのは、主客がともに同一の時間意識の中にいるということである。
同一のフレームワークの中にいるのであれば、あとは神経反射の速さや筋肉骨格の強さの勝負になる。
「拍子をはずす」というのは、相手の時間意識とずらすということである。
時間の拍動が変わり、遅速が変わると、私たちはそのような動きをうまくとらえることができない。
もちろん人間には時間に直接手を触れて、それをいじる能力など備わってはいない。私たちがいじることができるのは、人間の時間についての「意識」だけである。
相手の拍子を取り、相手の「乗り」をカウントできれば、その拍子の拍と拍の「あいだ」に打ち込むことができる。
ポール・マッカートニーはロックベーシストとしてはじめて64分音符を演奏したことで知られている。
一小節を64拍に割れるプレイヤーと8拍以上には割れないプレイヤーの違いは、演奏時間の遅速にはかかわらない(どちらも一曲を演奏するのに要する時間は同じである)。
けれども、64分音符を演奏できる時間感覚と身体感覚をもつプレイヤーにしか作り出すことのできない「オフ・ビート感」(グルーヴ感といってもいい)を、そうでないプレイヤーは再現することができない。
だから、もしこの二人が同時に演奏したら、8拍以上に割れないプレイヤーは必ず拍子が狂ってきて、自分が小節のどの音符を今弾いているのかわからなくなる。
「上手のうたひはのらずしてあひをゆく程に、下手鼓はうちかぬる也」と柳生宗矩が言うのはそういうことだと私は思う。
身体と時間を精密に細かく使う稽古の意味がわかっている人はまだそれほど多くないけれど、あきらかにこういう精密な稽古の方が、騒がしい稽古よりは愉しそうである。

稽古を終えてからイワモト秘書の人生相談を受ける。
私に人生の指針を訊ねるというのはまことに無謀なことであり、できるだけそういうことはなされないようにと若い方々にはつねづねご注意申し上げているのであるが、大胆な若者である。
当然ながら、「男一匹、米の飯とお天道さまはついてまわるものである。ま、気にせず、がんがんやりたまえ」という人生熱血一本道的忠告をする。
将来についての「最適解」を現在の時点で知ることは誰にもできない。
完全無欠の人生設計を立てて「よし、これで未来永劫オッケーだ」と勢い込んで走り出てそのままトラックにはねられてあえない最期を迎えるということだって人生にはある。
先のことはどうなるかわからない、というのが未来についてのもっとも適切な構えである。
「先のことはどうなるかわからない」から刹那的な快楽に身を委ね・・・という人間は実は「先」というのが「現在の無限の延長」だと思って「先のことがわかっている」人間なのである。
「今日の続きはまた明日」と信じていればこそ、「今日愉しければ、明日も愉しいはずだし、今日苦しいことは、明日も苦しいはずだ」いう無根拠な推論にも安んじていられるのである。
この推論は、時間だけが彼らの周りで流れて行き、彼ら自身の価値観や美意識や政治イデオロギーだけはこの先も少しも変わらないという前提に立てば正しい。
でも、この前提は間違っている。
「未来がわからない」というのは、未来の世界がどうなるかわからないということではない(未来の世界はかなり近似的に推論できる)。
そうではなくて、未来の「私」が「いまの私」とは別人になっているので、そのとき「別人である私」の眼にその世界がどう見えるか想像できない、ということである。
2050年には日本の人口が9200万人になるということはわかっている。
けれども、「私」がその9200万人の中に含まれているかどうかはわからない。
人々は「世界は変わり、私は変わらない」と信じて、将来の生活設計や人生の最適解について語る。
話は逆なのだ。
世界の変化はかなりの確度で予測可能だが、「私」の変化はまったく予測不能なのである。
だから最適な将来設計というのは、「私がどのように変化しても、対処できるようなフレキシビリティー」を備えるということである。
ある種の社会的能力(たとえば運転免許とか外国語運用能力とか武道の免許皆伝とか)を身につけると、「それがないとできないことができる」という点では社会活動の可動域が広がる。
けれども「それがあるせいでできないこと」や「それを体得するために犠牲にしたこと」を考量とすると、トータルでは選択肢の幅を狭めている可能性もある。だから、単純に学歴や資格を身につけたりすることが選択肢を広げるとは限らない。
「私の可動域」を最大化するための選択肢は、結局ひとりひとり自分の感覚で選び出してゆく他ないのである。

などという説教をかましているうちに時間となり、あわてて花束を抱えて桜宮まで走る。
森永一衣さんのソロリサイタルがある。
森永さんはオペラ歌手で旧友山本浩二画伯のご令室。「細川でふぐを食べる会」ほか、画伯の仕切るさまざまな美食行事でつねにご一緒させていただいているせいもあって、森永さんというと、「コージさん、これ、美味しい!」と言ってにっこりしている顔をまず思い出してしまう。
ミラノと東京と武庫之荘を行き来して音楽活動をされているのであるが、今回は大阪でははじめてのリサイタル(以前にクリスマスに教会でミニコンサートをしたことはあったけれど)。
ナバちゃんも来ている。
ナバちゃんは「細川・・・」のメンバーである他、森永さんとは「末端冷え症」同士で、指先まで温かい赤外線靴下とかそういうディープな商品情報を交換し合う仲である。
始めは最初の大阪オーディエンスを前に少し緊張気味であった森永さんであるが、プログラムが進行するにつれて、喉の湿りがよくなってきたのか、全音域でぐぐっと声につやと伸びが出てきた。終わりの方のロッシーニやプッチーニのアリアでは渦巻くような倍音がホールを圧した。
高音の伸びもすばらしいけれど、ウチダは個人的には、身体にフィジカルにしみこむような中音域のゆったりとした声が好きだ。とくにプログラムとアンコールの最期の三曲がすばらしかった。
演奏会の終了後、いつものように楠山さんご夫妻、尾中さん(本日は奥様とご一緒)らと亀寿司中店へ。
中トロをつまんでぐいぐいビールを呑んでいるところに山本森永ご夫妻とピアニストの篠崎愛恵さんが追いついて、みんなで乾杯。
例によって例のごとく、にぎやかに大阪の夜が更けてゆくのでありました。
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