ランゲルハンス島の魔性の女

2004-07-21 mercredi

東京は39.5度を記録したそうであるが、京都も暑かった。
集中講義二日目は、セックスワーク論から始まって、メタ・コミュニケーションから「大文字の他者」(@ラカン)と「うなぎ」(@村上春樹)と「中間的なもの」(@モーリス・ブランショ)へずるずると流れて、どういうわけか「居着き」と『張良』(@漢書)の話。最後は黒田鉄山の民弥流居合のビデオで締める。
いったい、なんの講義なんだろう。
話している私にもよくわからない。
よくわからないけれど、話しているのが同一人物である以上、これらの牛がよだれを繰るようにでれでれと流れ出る小咄のあいだには何らかの内的連関があると考えねばなるまい。
昨日考えたのは、人間存在がフローの状態にあって、運動の自由を確保しているということは、おのれ自身のうちに「異物」があって、その異物となんとか身をなじませようとして、「身をよじる」ようにしてじたばたしているということではないか、ということである。
例えば、あなたの背中が痒いとする。
「ううう、痒いぜ」ということで、我慢できずにじたばたする。
手を背中に必死で伸ばし、身体をねじ曲げ、摩擦を求めて床を転げ回る。
こんな角度でよく手が曲がるな・・・と本人が感心するくらいに身体がやわらかく動く。
これは身体の外側から何か刺激があって、それに「反応する」というときの動きかたと違う。
外側から到来する異物に「対処する」という場合の運動と、内側にある違和と「なじむ」ために身をよじるときの運動は質が違う。
運動に動員される身体的リソースの数は、おそらく桁違いに「内側の違和になじむ」ための方が多い。
つまりはそういうことじゃないかと思う。
たとえば、精神分析的対話ではトラウマ的体験について語る。
トラウマ的体験というのは、比喩的に言えば「内臓の痒み」のようなものである。
「膵臓の裏側が痒い」というようなことになったとしても、そんなところ掻きようがない。
掻きようがないけれど、めちゃ痒い。
必死でそこらへんを掻きむしり、輾転反側するけれど、どうにもならない。
でも、どうにもならないんだからあきらめて静かにしてましょうというわけにはゆかない。
しかし、この掻きむしり行動やどたんばたん行動によって、周囲の人も「こいつは、どうやら背中やお尻が痒いんじゃなくて、どうにも手が届かないところが痒いみたいだ」ということがわかる。
周りの人にわかってもらえると、少しだけ症候は緩解する。
「わかる? 痒いの。おなかの下の方の裏っかわあたりが、すげー痒いの。わかる?」
「おお、わかるわかる。わかんないけど、わかる。きっとあれだよ。ランゲルハンス島に何かが漂着しちゃったんじゃないかな」
「そ、そうかな」
というふうに話が展開するわけである。
つまり、この「内臓の痒み」を奇貨として

(1)言語化できない内的違和感を近似的に言語化し、他者とのコミュニケーションの回路を立ち上げる

(2)内的違和に身をなじませるために七転八倒して、身体の可動域とフレキシビリティを最大化する

ということが到成せらるるのである。
どちらにしても「内臓の痒み」には最後まで手が届かない。
けれども、内部に抱え込んだ痒み=トラウマに身をなじませ、それと共生する方法を必死で探るうちに、人間はいつの間にかその言語運用能力と身体運用能力を飛躍的に向上させている。
内部に違和を保持すること。
村上春樹が「うなぎ」を呼び出すのも、ブランショが「ひとつのことを語るには二人の人間が必要だ」というのも、帰するところは、同じことではないだろうか。
黒田鉄山は「到達できない術技の境域」「実現できない身体運用」というものをいわば「虚数」としてその身体の中に抱え込み、それとの違和に苦しむことで、おのれの術技の継続的な向上を担保している。
どのようにしてこの「内的違和」や「虚数」をアクティヴの状態に保ち続けるか。
みなさんが考えているのは、どうもそういう問題のような気がする。
だから「話を簡単にしちゃダメ」とさいぜんから申し上げているのである。
絶えざる前言撤回によって、漸近線的には近づくけれど、決して十全には記述できない何かが「わがうちにある」という違和感、つまり「隔靴掻痒」性こそが人間を人間たらしめている根源的な要件ではないか。
ウチダは酷暑の京都でふとそんなことを思いついたのである。
講義の途中で、吉田 Jo くんにエレベーターの中でばったり会う。
Jo くんは日比谷高校のときの同期生であり、69年に京大を受験に来たときには、飛び交う火炎瓶からいっしょに逃げ回った、業界ではいちばん古い友人である。
その Jo くんがなぜか前日から私に連絡をとろうとしていた。私からメールの返事がさっぱり来ないので困惑していたところに、目の前にぬっと私が登場したのである。その驚きやいかに。
「どうしてウチダくん、ここにいるの!」
「集中講義」
ということでお話を伺うと、秋の仏文学会で一仕事手伝って欲しいということである。
仏文学会には編集委員の年季奉公が明けてから一度も行っていないし、今年の秋の学会も行くかどうか決めていなかったけれど、他ならぬ吉田くんの頼みでは断るわけにはゆかない。
「いいよ」
と即答して講義に戻る。
げ、また仕事を増やしてしまった。

講義終了後、杉本先生にご挨拶してから京阪三条へ。
釈先生と本願寺出版のフジモトさんとウッキーと晩ご飯という、なんだかよく趣旨のわからないイベントである。
こちらは暑さと疲れで、ぼろ雑巾のようにくたくたであったが、カルビアーノのイタリアンをぱくぱく食べているうちにだんだん元気が回復してくる。
驚くべきことに、フジモトさんとミヤタケ(敬称略)は大学の写真部の先輩後輩であることが昨日発覚した。
ミヤタケ情報によると、フジモトさんは大学時代は「魔性の女」と言われていたそうである。
「いまでもそうですか?」とミヤタケに訊かれたが、こういう質問に答えるのはなかなかむずかしい。
「おお、すごいぜ」というわけにもゆかないし、「え、そうなの?どこが?」というわけにもゆかない。
しかたがないので「うーむ」と唸ってしのぐ。
「ミヤタケって、学生時代どんなでした?」とウッキーが質問すると、フジモトさんは「よく知らない」と答えていた。
なかなか含みのある「よく知らない」であったので、ウッキーと私は深く頷く。
『インターネット持仏堂』は本願寺出版から新書版で上下二巻にして出ることになりそうである。
装幀は山本画伯にアイディアを頼んでいる。採用されると、画伯のデザインがシリーズ全体に使われることになる。
本願寺信者1000万人であるから、この方々が全員700円の本を二冊お買い上げ頂くと、私と釈先生のところには巨額の印税が転がり込む段取りである。
「ははは、ではベンツをダースで買いますか」
と二人はすっかり上機嫌。
会食は釈先生のご招待であった。
釈先生ごちそうさまでした!
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