コピーライティング心得

2004-07-17 samedi

朝刊を開いたら『街場の現代思想』の広告と目が合ってしまった。
なんだかずいぶんでかい活字で
「教養がないこと」に気づくところからはじめよう!
というコピーが打ってある。
あのね、ミシマくん。
そんなこと言われて「あ、オレ教養がないかも、じゃ、この本買おうかな」と思うようなナイーブな読者がこの世にそれほどいるであろうか。
私は懐疑的である。
だいたい「いまこそ・・・でなければならない」とか「・・・しないと、あなたも時代に遅れる」というような文型がセールスコピーの定型だったのは、1980―90年代バブルの時代の話だ。
そういう強迫的な「キャッチアップ幻想」で消費者の欲望を喚起することができた時代はもう終わっているし、終わらせなければならない。
それに私の名前のところに「神戸女学院大学教授」の肩書きがない。
私は本務に割くべき時間と労力のかなりを犠牲にして(ゼミに遅刻するなどして)執筆活動の時間を確保している手前もあって、大学淘汰の時代を生き延びようとしている神戸女学院のパブリシティに一臂の力をお貸しして、その分の「借財」をご返済したいとけなげに念じているサラリーマンである。
そこのところの「せつない宮仕えの立場」というものをご理解していただきたい。
スペースがあれだけ空いているんだから、「神戸女学院大学教授」くらいの文字数なら入れたって、いいじゃない。減るもんじゃなし(減るか)。
私がジュンク堂と紀伊国屋書店のために書いたネコマンガに付したコピーは「買ってね」「読んでね」「面白いよ(ほんとだよ)」というシリーズである。
まるで芸のないコピーではあるが、著作にたいする愛着のにじみ出たなかなか名コピーではないかと思う。
というわけでNTT出版には、次に広告を打つ機会があったときには私が考えた次のコピーを採用するようにお願いしたいと思う。
「四の五の言わずに、書店に走れ」
強迫的というより脅迫的コピーだな。
でも、ちゃんと七・七になっている。
「四の五の言わずに」は八拍だけれど、日本語の七拍というのは(前にも書いたけれど)、ほんとうは八拍だからよいのである。
「勝った負けたと騒ぐじゃないよ」(これは七・七)
というのは文中の副題だが、これは水前寺清子からクレームがつくな。
「越すに越されぬバカの壁」(これは七・五)
というのも気に入っているコピーなんだけど、これも新潮新書からクレームがつきそうだ。
「子どもより、大人がえらいと、思いたい」
というのはどうかね。太宰治からクレームがつきそうだけれど、『桜桃』のコピーライツはもう消滅してるのかな。
とまれ、ミシマくんの献身的な営業努力により『街場の現代思想』は売れ行き好調である。
ミシマくんのチョー楽観的な見通しによると、来週には重版になるらしい(ほんとかしら)。
でも、12日に東京でお買い上げ行動に走ったある読者の方からの報告によると、昼休みに青山BCに行ったらもう売り切れで、「ジュンク堂に行ったら残っているかもしれません」と店員に告げられたそうであるから、あながち「チョー楽観的」とはいえぬかもしれない。
鹿児島のヤナガワくんからは、「キャラメルの箱みたいで、かわいい装幀」というコメントも頂いたことだし。
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