教育実習とミナミの宴会

2004-06-17 jeudi

ウッキーの教育実習のご挨拶に県立H高校を訪れる。
ゼミの指導教員はゼミ生が教育実習にゆくときは、大学のカタログ片手にお礼とご挨拶に伺うしきたりである。
8時45分に現地着。まずは教生の指導のS先生にウッキーのこの2週間の教育実習ぶりについてご報告を受ける。
これがベタボメ。
けっこうがんばっているだろうと予想はしていたが、これほど「絶賛」されるとまでは思わなかった。
ふつう教育実習生は教壇に立っただけで、「頭がまっしろ」になってしまって、50分間、何をしゃべっているのか覚えていないくらいに上がってしまう(これまでに何度か拝見したことがある)。
ところがウッキーは最初の授業から教室を一瞥して、「あ、そこのキミ。居眠りこかないように」と説教をかまして、ベテラン教師のように堂々たる授業ぶりであったそうである。
「たいしたもんですね」と言って頂いたので、すっかりいい気になって、「ふふふ、いつも胆力をつけるように武道を通じて修業しておりますから」とひとしきり武道修業の教育的効果について熱弁をふるう。
さらに「手塚治虫はなぜスポーツ漫画を書かなかったのか」というウッキーの学会発表の内容をご説明しているうちにS先生も熱烈な漫画ファンであることがわかって、漫画談義となり、1時間近くウッキーのことを忘れて漫画についてぐいぐい論じ合ってしまった。
S先生の次は教頭先生が登場して、今度は初等中等教育の壊滅的現状について現場の報告を拝聴しつつ、いったい日本はどうなるんだと盛り上がっているところに校長先生も参加して、マスメディアは学級崩壊や子どもたちの精神的荒廃をすべて学校のせいにしているけれど、すべて「学校が悪い」ですませているせいで、学校に対する社会的信頼の基盤そのものが崩れてしまったことへのマスメディアの責任はどうなるんだ、そうだそうだとさらに現場の先生がたは熱く語っておられたのでありました。
ウチダはいろいろな特技があるが、異業種の方から当該業界の今日的諸問題について話を伺う能力はその一つ。
私は「現場」の話を聞くのが好きなのである。
よく、ふっと我に返った相手から「こんな話、面白いですか?」と怪訝な顔をされることがあるが、ほんとに面白いのである。
歯石の話も石油採掘事業の話も弁護士業界の話もISO9001の話も、私はつねに満腔の好奇心をもって拝聴する。
そういう話は私にとって「社会の成り立ち」についての貴重なデータベースである。
大学と家を往復するだけの寡黙なる「山場の人」であるウチダが、それにもかかわらず「現代社会論」のようなものを論じていられるのは、これまでに蓄積された「異業種の方々からうかがった〈ここだけの話〉」の膨大なるストックがあるおかげである。
〈ここだけの話〉というのは、メディアには出ないし、インターネットにも載らない。
face to face の場面でしか聴取することができない。
だから、ふだん家から出ないウチダは、たまさか異業種の人と出会うと、乾いたスポンジのようにいそいそと話を聞くのである。
といっているうちにウッキーの研究授業の時間となり、2年7組の教室で、平城京とか和同開珎とか国分寺の話をウッキーから講じて頂く。
ウッキーはまことに堂々たる教師ぶりで、とても実習生とは思えない。
ふだん教育実習生の授業を聴くときはどきどきして人心地がしないのであるが、ウッキーの落ち着いた授業ぶりはなんだかこっちが眠たくなるくらい「高校の先生」であった。
S先生は「これなら来年からすぐにでも講師として採用できるくらいです」と太鼓判をおしてくださった。
ウッキーよかったね。
その話を合気の稽古のあとに部員たちにしていたら、「きっと、ウキ先輩のことですから、生徒の名前も生年月日も全部おぼてしまって、『じゃ次は獅子座のヤマダくん、読んでください』とか言って生徒たちの度肝を抜いてるんでしょうね」とS川くんが感想を述べていた。
そうかもしれない。みんなウッキーが3週間もいないので、寂しがっていたぞ。

というところまで書いていたら携帯が鳴って、晶文社の安藤さんからの電話。
今日は『ミーツ』の「哲学・上方場所」の収録で、鷲田清一さんと永江朗さんがミナミで対談をすることになっていて、その打ち上げにウチダも遊びに来いと江さんから誘われていたのであるが、合気道のお稽古のあとに食事の約束が入っていたので泣く泣くお断りしたのである。
その打ち上げ現場からの電話で、なんだか凄いことになっていた。携帯があちこち回って、鷲田先生とお初に電話でお話しする。
話のはずみで来月の「哲学・上方場所」はレヴィナスをテーマにして、そこにウチダが「乱入」して4頁という話になる(さすが『ミーツ』、出たとこ勝負だ)。
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