「オタク」と司法

2004-06-09 mercredi

風邪がまだ抜けない。
身体の芯の方に「疲れの塊」のようなものが蟠っていて、それがじくじくと「なんだか気分が晴れない波動」のようなものを全身に発信して、「さ、やるぞ。ばりばり」という意欲の形成を妨げている。
とはいえ、次々の原稿の締め切りだけはやってくる。

『ミーツ』の原稿を出したと思ったら、明日までにNTTの「あとがき」を書かないといけない。
熱にうなされてそういう返事をしたらしい。

知らない出版社の知らない編集者から「もうすぐ締め切りです」という催促のメールが入る。
いったい、どのような原稿を約束したのか覚えていないが、構造主義についての原稿らしい。
先方の話では私の原稿がただちに入稿しないと大変なことになるらしいが、そんなに大変な仕事なら、論題も締め切りの期日も執筆の可否さえ確認しないで放置しておかねばよいのにと思う。

柏書房の五十嵐さん、医学書院の白石さんからも軽くキックが入る。
どちらも原稿の本体は書き上がっており、あとは「まえがき」「あとがき」の類を書けば終わりなのであるが、なんだか「やる気」が出ない。
ご案内のとおり、私の書き物は文字通り「無からの創造」であり、材料なしでいくらでも書ける点がお気楽と言えばこれほどお気楽な商売はないのであるが、いまのように「やる気」が出ない時期には、いざ机に向かって書こうとしても、もとが「無」であるから、何も書きようがない。
ただ、呆然とキーボードの前でへらへらしているだけである。
へらへら。

しかたがないので、キーボードに向かって味のしないコーヒーを呑みながら、(石川茂樹くんに作ってもらった)スモーキー・ロビンソンのCDを聴く。
平川くんから電話があって、その石川くんのご父君が亡くなられたそうである。今日がお通夜で明日が告別式だが、とても東京までゆく元気がないので、お花を送ってすませる。
先年のご母堂に続き、ご両親を看取ったことになる。石川くんも、さぞやお疲れであろう。年回りとはいいながら、つらいものである。
お父上のご冥福を祈ります。

げほげほ空咳をしながら大学へ行き、四年生のゼミと大学院のゼミに出る。
天気が悪いせいか、ウチダが痴呆化しているという情報がすでに全国的に配信されているせいか、あまり出席者がいない。
今回のテーマは四年生が「オタク」で、大学院が「陪審制度」。
「オタク」とか「萌え」とか「やおい」いうのは私がもっとも苦手とする領域である。
たぶん、そのエリアの方々に「歴史」という視点が構造的に欠如していることに理由があるのであろう。
どのようなサブカルチャー活動もかならずそれが社会現象に顕在化するに至る「前史」というものがある。それが別の社会現象のかたちをとらず、いまあるような形態を取るに至ったのは、おおくの場合「偶然」にすぎない。
だから、ある社会現象の「本質」をつかむもっとも効果的な方法は、その現象が「何であるか」を実定的に言い当てることではなく、むしろ、「それ以外のどのような現象が、それと同じような社会的機能を果たしうるか?」という問いを立てることにある。
別に、私がそう言っているわけではない。
「記号というのは『それが何であるか』によってではなく、『それが何でないか』によって欠性的に機能する」と言ったのはソシュールである。
しかし、どのような文化活動についても、活動従事者ご本人たちは、自分たちの活動が「偶然」今あるようなかたちをとったにすぎず、歴史的なファクターがひとつ違うとまるで別様のかたちを取ったかも知れないというふうな想像を好まれない。
「オタク」の前史は「SF」である。
「オタク」という二人称の発生は1983年中森明夫命名による、と公式「オタク史」には書かれているが、SF関係者のあいだではつとに1960―70年代から用いられていた。
「コミケ」も同人誌活動も、もちろんその前身は「SF大会」とSFファンジンである。
しかし、この程度の歴史的事実さえ当今の「オタク」たちは知らない。
それも当然で、1960年代のSFファン活動などというものの歴史的ドキュメントなんかだれも記録して残していないからである。
でも、「こういう子ども中心のアンダーグラウンド的なネットワーク活動」がある日いきなりぽんと出てくるはずはない。
そういうものには必ず「前史」があり、それが今あるようなかたちをとったのには必ずある種の社会的ファクターの関与がある(私の見るところ、「SF」から「オタク」へのテイクオフは1960年代後期の少年文化の「過政治化」に対する反動である)。
けれども、そういう「おのれ自身を位置づける歴史的文脈」に反応する知的アンテナそのものが「オタク」の諸君にはほとんど構造的に欠落している。
「オタク」というのは、ほとんど自己言及だけで構築されている自閉的な文化活動なのであるが、そのような自閉的な文化活動が生成してきた歴史的プロセスについての自己言及だけはほとんど行わない。
自分の立ち位置について客観的に語ることのできない人間と話をするのはすごく消耗する。
だから、私は「オタク」が苦手なのである。

大学院のゼミは「陪審」制度。
どうして、こんな制度が日本に導入されることになったのか、私にはその歴史的意義がよく分らない(私のみならず、出席者の誰一人分らなかった)。
アメリカの司法制度を取り入れるということがよいとされているらしいが、なぜアメリカの司法制度を取り入れることがとりあえず「よいこと」なのか、私にはよく分らない。
日本とアメリカはご存じのとおり、司法のあり方が違う。
アメリカは世界に聞こえた訴訟社会であり、日本はそうではない。
年間の訴訟件数がアメリカは1600万件、日本は40万件。弁護士の数はアメリカが100万人、日本が2万人。
アメリカでは訴訟のほとんどが却下または略式判決によって早期終結しており、審理過程でも和解になって終結する場合が多い(判決にまでたどりつく率は3%)。つまりアメリカの訴訟事件の97%は「そもそも訴訟するほどの話ではなかった」ということである。
アメリカがこの不要不急の訴訟によってどれほどの社会的リソースを浪費しているかについては当のアメリカ人も自覚的である。
「訴訟を起こされるリスクがある」ことについてしだいにアメリカ人は「それなら、やらない」という選択をする傾向が強まっている。それがビジネスにおける発意や創造性を深刻に損なっていることをアメリカのビジネスマンも法律家も指摘し始めている。
かつてトマス・サスは、市民が身に起きるあらゆるトラブルについて、その責任者を訴え、賠償請求をできるような社会では、市民の側に「トラブルを事前に回避するための社会的能力」を育てるという動機づけが失われることを指摘した。
逆説的なことだが、「つねに悪が罰され、正義が勝利する」社会において、市民たちは、目の前で犯罪が行われ、不正が横行しても、それに対して鈍感になる。
だって、そうでしょ。
「正義の社会」では、ただちに犯人は捕縛され、不正は罰されることが確実なんだから。
目の前でどれほど残虐な犯罪行為が行われていても、見ている方は別に心が痛まないし、身を挺してそれを阻止しようという気も起らない。
だって、ほっとけばいずれ正義が執行されることが確実なんだから。
それは神が全能であり、すべての不正がただちに神によって罰される社会では、人間が倫理的である必要がないのと同じことである。
「トラブルは必ず解決される」という信憑はアメリカの「病気」である。
それはアメリカが「銃社会」であることと根本的なところで通じている。
銃は「これから起きるトラブルを回避する手段」ではなく、「すでに起きたトラブルを解決する手段」である。
銃による自衛権を憲法が保証している社会では、「トラブルを事前に回避する」ための市民的知恵の育ちようがない。
起こりうるトラブルを網羅して、そのすべてに対処できるシステムを作ることと、なるべくトラブルが起きないようなシステムを作ることのどちらがコストがかかるか考えれば誰にでも分ると思うけれど、日本はアメリカに倣って、次第によりハイコストの社会制度にシフトしようとしているようである。
どうしてそんな愚かな選択をしたがるのか、私にはよく理由が分らない。
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