オフなので、一日原稿書き。
医学書院の『死と身体』の第三章、第四章をばりばりとはげしく加筆修正する。
これは大阪の朝日カルチャーセンターでおしゃべりした講演をテープ起こししたものである。
いつも、ろくな準備をせずに会場までよたよたとでかけ、聴衆のみなさんの前で絶句の危険におびえつつ、その場で思いついたことをとにかくしゃべって90分間つなぐ、という綱渡り的レクチャーである。
これが、面白い、やっぱり。
今読み返しても、どうしてそんなトピックを思いついたのか、その理路が見えない展開になっている。
だから、一望俯瞰的な視点から論旨を整えるというより、そのときの思考の回路にもう一度憑依して、「なるほど、ふーむ。で、この前振りをどうやって落とすんだろう、こいつは?」とけっこうわくわくしながら読み進むことになる。
案の定、話を振っただけで、「落ちない」箇所が散見される。
まあ、そういうこともある。それはそれで、笑って読み流して頂きたい。
読み返してみたら、けっこう面白かった。かなり面白いというか、めちゃ面白いと申し上げても過言ではないのではないか。
あともう一つ、最後の「死の儀礼」の回のレクチャーを校正して、仕事は終わりである。
本は秋頃には出ることになる。
午前中コーヒーを飲みながら校正をしていたらピンポンとチャイムがなって書留が届く。
めんどくせーなと起きあがってはんこをついて書留を受け取ったら、現金書留であった。
お、どこからだ?
せりか書房であった。『レヴィナスと愛の現象学』の初版の二度目の印税である。
封を切ると、手の切れるような一万円札がどどどと出てくる。
おお、朝から突然の贈り物。
初版2000部を売り切って、重版でもう1500部刷ることになったそうである。
ほんとは1000部の予定であったのだが、私がこのホームページでさらに時間論を書いて、それで「レヴィナス三部作」完成と予告したので、もう500部上乗せしてくださったらしい。
『他者と死者』がレヴィナス三部作第二部と書いてあったら、それだけ読んだ方は「じゃ、第一部も読んでみようか」という気になるかもしれない。
時間論が第三部と記してあれば、「じゃ、第一部、第二部も読んでみっか」という方もおられるであろう。
なるほど。
何でも書いてみるものである。
第三部はアイディアを思いついただけでまだ版元が決まっていないのであるが、「言語、身体、記憶」がテーマなので、I波書店で企画が出ている身体=時間論を「レヴィナス論第三部」に衣替えしようかなと考える。
うん、いいな。そうしよ。
出版社は違うけれど、版型がいっしょで、装幀も同じ山本画伯ということであれば、並べて売っても違和感ないし。
すらすらすいすいと書いているうちに夕方になり、三宅接骨院に治療にでかける。
仕事ばかりしていたので、身体ががたがたに歪んでいて、リンパ腺が腫れている。
三宅先生が「仕事しすぎですよ」と暗い顔をされる。
「仕事しすぎですよ。お酒のみすぎちゃだめですよ」と言いながら、「はい、おみやげ」と言ってワインを二本くれて、「本の企画あるんですけど、K-1のK田さんと対談しませんか」と私の仕事をふやそうとする。
さすが三宅先生。
帰りに、待合室でK-1の武藏さんとすれ違う。
「あ、ども」「あ、ども」とクールかつダイハードなご挨拶をかわす。
武藏さん、だんだん風格出てきたな。
家にもどってから、『困難な自由』のことを考える。
訳稿はできあがったのだが、翻訳権を取り損なってしまったのである。
翻訳権がないんじゃ、本は出せない。
ふつうは訳者にオッファーするときに翻訳権も取得するのであるが、訳者が私のようにでれでれ何年も訳稿を遅らせると、その間のライツの更新料も些少ではないので、あまり財政的に余裕のない出版社の場合は、ぎりぎりまで翻訳権を取得しないということがある。
今回はそれが裏目に出て、いざ出版という段になって、翻訳権がよその出版社にいっていたことがわかったのである。
七年越しの仕事が反古になりそうでだが、まあ、世の中そういうこともある。
レヴィナスの翻訳はそれ自体が私にとっては勉学と愉悦の経験であるから、それが最終的に本のかたちにならなくても、別によいのである。
ただ、ウチダ訳『困難な自由』を期待していた全国29人のファンの方には申し訳ないことをした。
ウチダ私訳をぜひ読みたいという人には、ファイルを個人的にお送りするという手もある。
有料頒布ではないのだから、べつにコピーライツには抵触しないと思うけれど、正規の翻訳権をとっていま翻訳をしている方にたいしてはある種の営業妨害でもある。
出版の「仁義」を考慮すると、やはり誰にも見せずに、このまま闇から闇へ葬り去られるのが、わが訳稿の宿命なのかもしれない。
なんだか気の毒だけれど、しかたがない。
「そういうもんだよ」と「それがどうした」というのがトラブルのもたらすダメージを最小化する呪文だと村上春樹が書いていたけれど、私もそれに倣おうと思う。
ま、そういうもんだよ。で、それがどうしたって?
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(2004-05-12 23:40)