不思議なお仕事

2004-05-10 lundi

いろいろなところから、いろいろ不思議な仕事のオッファーがある。
Kyoto Journal という英字誌からのオッファーはずいぶん前に頂いた。
私のエッセイを英訳したいとおっしゃるので、「どれでもお好きなものをどうぞご自由に」と申し上げたら、『子どもは判ってくれない』の「たいへんに長いまえがき」を英訳して掲載することになった。
読者はアメリカの方が多いようであるが、私の書いたものはいったいどういうふうに受け止められるのであろうか。
もうひとつはジャン・ポーランとモーリス・ブランショの翻訳に、私の論文をくっつけた不思議な合本の企画。
私に求められたのは「『文学はいかにして可能か?』のもう一つの読解可能性」である。
これは、すごく面白く野心的な企画なのであるが、その面白さが分ってくれる読者は日本に200人くらいしかいないだろうというのがまことに残念なことである。
というのは、ポーランの『タルブの花』はナチ占領下で出された文芸批評の本なのであるが、これが実は「暗号で書かれたテロリズム論」なのであり、それを要約したブランショの『文学はいかにして可能か?』はこれにたいする「返歌」であるが、これまた暗号で書かれた過激なる政治論文なのである。
ポーランはナチの検閲官ゲルハルト・ヘラーに「師」と仰がれながら、地下ではレジスタンス活動を組織していたし、ブランショはペタンのヴィシー政府をスポンサーにしてやはり反ファシズムの活動を組織しようとしていた。
この時期の人たちが「ほんとうは何をしていたのか」、「本意はどこにあったのか」は誰にも分らない。
ドゴールとペタンの両方に「保険をかけていた」という解釈だってありうる。
ともかく、占領下の書き手たちは、みなさんアクロバティックなエクリチュールを駆使されていたのであるが、特にブランショのダブル・テクストは凄い。
私はこの論文のあとブランショの「フェードル」論が、ラシーヌ論のかたちを借りてはいるが、実はかつての兄貴分ティエリ・モーニエとその親分のシャルル・モーラスの国民革命論に対する暗号で書かれた批判テクストであるという「柳の下の泥鰌」論文を書いていたのであるが、いくらなんでもあからさまに「柳の下」なので、途中で飽きちゃって放棄したのである。
でも、こういう「トンデモ」研究をする若手の仏文学者はほんとうにいなくなっちゃったね。
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