可傷性と鼻声

2004-05-08 samedi

『第三文明』のインタビュー。
お題は「アメリカ」。
アメリカにかかわる楽曲5つを選んで、それについて論じるという趣旨の企画である。
ほいほいと引き受けたまま、何も考えずに前日を迎え、これではまずいというので、昨夜、あわてて5曲を適当に選ぶ。
選んだのは

Take good care of my baby (Bobby Vee)
Crying in the rain (The Everly Brothers)
Tell me why (Neil Young)
Handy man (James Taylor)
Simple man simple dream (J.D.Souther)

適当に選らんだのだが、後知恵で考えると、ちゃんと共通点がある。
それはすべて「男の鼻声」ということである。
鼻声というのは、端的に言えば「すすり泣き」の記号である。
私が好きな楽曲はすべて「男がすすり泣く」曲想のものであった。
最初の2つはキャロル・キングの曲。
若い人は想像しにくいかもしれないけれど、1964年までのアメリカン・ポップスの男性歌手のクルーナー・タイプの発声はメロウでウィーピーであった。
1960 年代の前半まで、アメリカの男性アイドル歌手はすぐに「べそべそ泣く」タイプの楽曲によって世界を席巻していたのである。
ジョニー・ティロットソンは『涙くん、さよなら』で「だから、しばらくは君の会わずにいられるだろう」と歌った。ということは、「しばらく」以外の時間、ジョニー君はべそべそ泣いて人生を過ごされていたのである。
クルーカットで、ハイスクールのロゴの入ったカーディガンを着て、女の子にちょっと意地悪されるとすぐにべしょべしょ涙ぐむような男の子たちが1964年まではアメリカの若い男性のロールモデルであった。
第二次世界大戦が終わったあとのアメリカは世界最強の軍事大国であり、世界最大の経済大国であり、そして、その国の若者たちは、べそべそ泣いてばかりいた。
強い人間だけが、平気で泣くことができる。
そのことを私たちは忘れがちだ。
自分の傷つきやすさを露出できるのは、その傷を癒すだけの地力を備えた人間に限られる。
1955年から1963年まで、つまり朝鮮戦争の終結からケネディ暗殺までの時代が the Golden Age of American Pops である。
それはアメリカが名実ともに世界最強国・最富国であった時代であり、その時代はアメリカの男たちが自分の弱さを平気で示すことができた幸福な時代であった。
1964 年のブリティッシュ・インヴァージョンからあと、アメリカの男性歌手は前ほど気楽には泣かなくなった(例外はビーチボーイズの女性的ファルセットだけだ)。
それはアメリカが先の見えないベトナム戦争に踏み込んでいった時期と符合する。
3曲目からあとはアメリカの「鼻声」がハイスクールボーイの気楽なすすり泣きから、もっと深い傷に注ぐ涙に変わった時期のものである。
傷は日常生活のささやかな気づかいによっては癒されないほど深くなり、その傷あとからはじくじくと血がにじみ続けるようになった。
そして1977年頃を最後に、アメリカの男性歌手は「鼻声」ですすり泣くのを止めた。
それから後、私たちが聴くことになった音楽では、シンガーたちは怒声を挙げ、権利を主張し、罵倒を浴びせ、ついには無機的な機械のように痙攣的な発声をするようになった。
そんなふうにして、「鼻声歌手」たちは音楽シーンから消えていった。
それはアメリカの国力が低下し、傷つきやすさを誇示することが、戦略的に許されなくなった時代の始まりを示している。
私は男たちが「すすり泣き」をする曲が好きだ。
涙を見せることができるのは強く、優しい男だけである。
今のアメリカでは男の子がすすり泣くと、女の子たちがきゃーきゃー喜んでくれる社会ではもうない。
それはアメリカの国力がゆっくりと低下している趨勢とシンクロしているように私には思われる。
もう一度アメリカの男性歌手が「鼻声」で歌う時代は戻ってくるのだろうか?
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