たいへんに忙しい週末。
金曜日はめずらしく会議のない午後なので、ソッコーで帰宅して、ただちに仕事。
残りわずかの『困難な自由』の校正をこりこりと仕上げる。脚注をいくつか残したところでとりあえず校了。メールで国文社の中根さんに送稿。
数年がかりの仕事がようやく終わった。
『観念に到来する神について』を 97 年に訳し終えて、そのつぎにすぐとりかかった仕事だから、数えてみると 7 年かかったことになる。
ずいぶんひぱったものである。
中根さん、ほんとにごめんなさい。
『困難な自由』をおまちかねの全国300万のレヴィナスファンのみなさん、おまちどうさまでした。秋には出ます。ご期待ください。
6 時に終わって、そのままばたばたと三宮へ。
田口ランディさんとの対談その2である。
晶文社の安藤さんのセッティングで、今回は「痴呆老人とレヴィナス」というなにがなんだか分からないテーマで話し合ってくれというのであるが、どうやってつなげたらいいの?
というわけで、安藤さんのご要望はまるっと無視して、旧居留地のオルフェというフレンチレストランのたいへん美味なるフルコースをぱくぱくといただきながら、ランディさんと好き勝手なおしゃべりをする。
このレストランは Re-set の橘さんのご紹介で、着席するとただちに「これは橘さまからでございます」と言って、シャンペンのサービスがあった。
こういうのって、たいへんに気分がよろしいですね。
二次会はいつものリセット。
ここに淡路島の病院におつとめの中山さん青山さんというおふたりのゲストとドクター佐藤さらに『ミーツ』の青山さんも合流。
いきなり「寝ゲロ」の話で始まったが、そのうちちゃんと予定通りに痴呆老人の話になって、「ボケたもん勝ち」というたいへん有意義な結論に落ち着く。
ワインをがぶがぶ飲みながらの対談(途中からバトルロワイヤル状態)であったので、何を話したのかまるで覚えていないが、そのうちにこのホームページ上で公開いたしますのでお楽しみに。
土曜日。
よろよろと起きあがって、まずは下川先生のところでお稽古。
謡のバイブレーションが全身に回ったおかげで二日酔いの酒気が抜けて、たいへん気分がよろしくなる。
合気道の方はウッキーに託して、ばたばたと支度をして新幹線に飛び乗り、鎌倉へ。
かねてお約束の「鈴木晶先生のうちを鈴木先生のうちから歩いて二分のところにお住まいの高橋源一郎さんと急襲して、鈴木先生の手作りのごちそうを食べ散らして、ワインセラーのワインを飲み倒す」会(略称「飲み倒す会」)である。
鎌倉はあいにくの氷雨。すごく寒い。
鈴木先生のおうちは鎌倉宮の裏側の護良親王の首塚の下という歴史的ロケーション。
あたりいちめん竹藪の中。
おまけに先生のおうちは高橋たか子さんの旧居なので、赤煉瓦造りの「フランスの修道院」みたいな感じのたいへんにシックな建物である。
そこで雨の中、鈴木先生と奥さまの灰島かりさんが予定通りにお庭でバーベキューの用意をしている。
さっそくシャンペンで乾杯。
焼きたての巨大ホタテ貝にお醤油をたらたらとかけてがぶりと噛みつく。
おお、じゅうしい。
うめっす、先生、めちゃうめっす。
にこにこしていると、歩いて二分の高橋源一郎さんが巨大なシャンペンをかかえて、ご令嬢の橋本麻里さんと、ちょうど高橋家に遊びに来ていた加藤典洋さんといっしょに登場。
そこに橋本さんのお友だちの武者小路千家の千宗屋さんも参加して、途中から家の中に河岸を移して、さらに鈴木先生のさばいたお刺身や蟹や生ハムなどをばりばり食べつつ、予定通り鈴木家のワインセラーを着々と空洞化しつつ、しゃべりにしゃべる。
それにしても、どこかの雑誌の企画ではないかと思うほど「濃ーーい」メンバーである。
加藤典洋さんとお会いするのははじめて。
加藤さんは『ため倫』をずいぶん早くに(ご本人によると、日本で一番早く)書評で取り上げて、ほめてくださった方である。
そもそも『ため倫』の戦争論は加藤さんの『敗戦後論』をめぐる高橋哲哉さんとの論争に触発されて書かれたのであるから、あの本が出たそもそものきっかけは加藤典洋さんにあるといって過言でないのである。
そのあとに、ある大学での日本史のシンポジウムのパネリストに呼ばれたことがあり、「どうして私のような歴史学の門外漢にお声がかかったのでしょう?」とお訊ねしたところ、パネリストのひとりである加藤典洋さんからのご指名であると教えていただいた(残念ながら、そのシンポジウムには日程のつごうがつかなくて参加できなかった)。
福岡の海鳥社の別府さんと仕事の話をしていたときにも、「誰か対談したい人いますか?」というオッファーを受けたので、できることなら加藤さんと対談したいとお願いしたことがある(海鳥社は加藤さんの本を何冊か出しているのである)。
その話は加藤さんがめちゃめちゃ忙しくてとても時間がとれないということで調整がつかなかった。
今回はだから三度目の正直。
ようやく「恩人」におめもじできたので、おそまきながら『ため倫』のときのお礼を申し上げる。
日本を代表する作家と批評家が参加されたわけであるから、どれほどハイブラウな文学論が展開したのであろう・・・とみなさんは想像されたであろうが、もちろんそのような話はなされず、サラブレッドの種付けとか慰謝料はなぜ税金が控除されないのかなどという深刻な話題と、
「ここだけの話だけどね・・・」「えええええ! あの人って、そうなんですかあ!」「内緒よ」というみなさんには決して教えることのできない話題でぐいぐいと盛り上がったのである。
5時から始まった宴会は深更にいたっても終わる気配がなかったけれど、鎌倉駅前にとったホテルの門限が12時というので、後ろ髪をひかれる思いで鈴木邸を後にする。
さいわい部屋がツインのシングルユースだったので、おうちまで帰る電車がなくなった加藤さんと部屋をシェアすることにする。
結局、部屋でもビールを飲みながら、さらにおしゃべりが続き。翌朝も目が覚めてから横須賀線の品川駅頭でお別れするまで、ずうっと話し続ける。
まことに愉快にして有意義な一日であった。
高橋さんとは仕事の打ち合わせをかねていたのであるが、ぜんぜんその話はできなかった。ま、仕方ないよね。
鈴木先生、奥さま、どうもほんとうにごちそうさまでした。
ジジェク本が出たら、その出版記念にまたバーベキューやりましょうね!
こんどは鈴木さんと高橋さんと私がそれぞれ娘をつれてきて、父親と娘たちの6人バトルロワイヤル座談会という企画をどこかの雑誌に売り込んで、そのギャラでシャンペンを買い揃えませんか?
お酒が完全に抜け切れぬまま、ふらふらと新宿の合気会本部道場へ。
なんだかやたらに人が多いし、見知らぬ顔もいるので、へんだなーと思っていたら、いつもの多田塾研修会ではなく、一般公開の多田先生の講習会だった。
それでも坪井先輩、亀井先輩もいるし、気錬会の工藤くんや新主将のひろたかくんの顔も見えるので、ちょっと安心する。
研修会皆勤の浜松の寺田さんが来ていらしたので、「どうすか、すーさんはまじめに稽古してますか?」と鈴木先生の近況を伺う。
「うなとろ日記」に書かれているように、今年から教務主任に任ぜられたすーさんはお稽古もままならぬようであるが、いよいよ来月は初の昇級審査を受けることになっているそうである。
鈴木せんせー、がんばってくださいねー。
今回は多人数掛けと太刀取り。
考えてみたら、太刀取りを多田先生から習うのは 29 年合気道をお稽古してきて、これが初めて(昇段審査や演武会でやった技はすべて先輩に習ったのである)。
どぎまぎして、なかなかうまくできない。
しかし、この年になってまた新しい技を教えていただいて、新しいことを覚えることができるというのはまことにありがたいことである。
いつのまにか亀井先輩と二人で組になる。
すると若い連中が誰も近寄ってこない。
「5,6人一組で」と多田先生はおっしゃっているので、どこもそれくらいの人数なのであるが、亀井・内田組には誰も「入れてください」と言ってこないのである。
どーして?
やさしいおじさんたちなんだぜい。
そのまま最後まで亀井先輩にお稽古の相手をしていただく。
こんなに長い時間お稽古をつけていただいたのは、自由が丘道場のころ以来かもしれない。
ふたりともふだんは教えるばかりで受け身なんか取ったことないので、受け身が新鮮である。
座技の二教をしているときに、亀井先輩が「ああ、二教をかけられるのなんて、5年ぶりくらいかもしんない」と感動されていた。
それではというので、ごりごりと固めて差し上げる。
ごりごり。
「てて、いてえよ、ウチダくん」と亀井先輩はたいへんうれしそうに痛がっておられたので、さらにごりごり。
稽古時間が予定より1時間半ものびてしまったので、今日はいつもの「多田塾研修会の帰りに生ビールをのむ会」はパス。
ひろたかくんの主将就任祝いや雑賀くんの五段昇段祝いや工藤くんの婚約祝いなど祝い事が目白押しだったので、ごいっしょに祝杯をあげたかったのであるが、新幹線の時間が迫っているので、泣く泣く新宿駅頭で「これから生ビール」の諸君とお別れする。
というわけでいま新幹線の車中でビール片手に、シグマリオンでこれをぱかぱか打っているのである。
まことに充実した、おそらくわが生涯でいちばんスリリングな週末ベスト5に入るような三日間であった。
みなさん、どうもありがとう!
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(2004-04-26 00:07)