『ル・モンド』の日本青年論

2004-04-20 mardi

『ル・モンド』にイラクで解放された日本の三人の人質の日本政治史上での徴候的な意味について長文の解説が掲載された。
彼らの「自己責任」を問う中傷と誹謗が日本の一部のメディアとウェブに行き交っているときに、フランスの(というか世界的にももっとも信頼性の高いメディアのひとつである)クオリティ・ペーパーがこの三人の「偉業」を称える長文の「日本青年論」を掲載したことは一驚に値する。
『東京ファイティングキッズ』にアメリカの世界戦略に追随しないと「国際社会の笑いもの」になるという定型的な床屋政談に対して、「国際社会」がどういうリアクションをしているのか分かった上でそういうことを言っているのか、とを嫌味を書いたところなので、参考のためにみなさまに「国際社会」の(もちろん、ごく一部にすぎないが)この問題に対するひとつのリアクションをご紹介したいと思う。
記事の一部は今日の朝日新聞の夕刊が紹介していたが、原文はたいへん長い(約3000語)。
私も全部訳すのはしんどいので、抄訳をここに掲載する。(えーと、こういうのはコピーライツ関係はお断りしなくてもいいのかしら?)

「日本:人道主義的熱気」
「神戸の震災以来、日本の経済成長の子どもたちの中で人道的活動やボランティアにかかわるものの数がしだいに増えてきている。イラクで人質になった日本人たちは、そのひとつの範例である。
人質になり、4月15日に解放された三人の日本人は、身を守るものとしてその善意だけを手に、いったいイラクの泥濘に何をしに行ったのだろう?
彼らは無意識だったのか、それとも無思慮だったのか?
彼らの冒険は、拘束された二人の日本人ジャーナリストの場合と同じく、日本の若者たちの一部を衝き動かしている愛他主義的な価値観がどのようなものかを間違いなく示唆している。
慎ましい日本の若者たちがいる。彼らは自分たちについて多くを語らない。けれども、ダークスーツを着たサラリーマンとけばけばしく夜の街を徘徊する『おしゃれな』若者たちのどちらにも属さないところに、まじめな顔つきのものも陽気なものもいるけれど、自分たちの身銭を切って自分たちの社会を何とか変えようとして行動に踏み込む若者たちもまた存在する。
この三人の最初の人質の経歴がそれを語っている。
高遠菜穂子(34)はインドでマザー・テレサが創設した組織でボランティア活動をした後にイラクに入り、ストリート・チルドレンにかかわる活動をした。今井紀明(18)は最年少で、この三月に高校を出たばかりであるが、反戦運動にかかわり、同盟軍の使用した劣化ウラン弾に被爆した市民の犠牲者についての記事を書くためにイラク入りした。彼はイラク派兵された兵士たちの基地のある出身地の北海道の旭川でルポルタージュを書いている。郡山総一郎(32)はフリー・カメラマンで、自衛隊員、運転手を経て、写真家の道に入った。
この三人はいずれも自分の眼で見たいという意志と、自分なりのてだてで、世界を変革しようとは思わないまでも、彼らが犠牲者であるとみなす人々に手を差し伸べようという意志を共有していた。(…)
1970−80年代にも、アジアの各地で日本のバックパッカーの姿がよく見かけられた。彼らは経済成長を謳歌する日本を離れて、インドやネパールに新しい地平を探し求めていたのである。それはごく少数に過ぎなかった。
しかし今日、世界各地のまさかこんなところに・・・というような空港や市街で私たちが出会う日本人の男女の過半はこの10年ほど日本で広がっているNGOのボランティアのメンバーたちである。彼らはアフリカやアジアの人知られぬ僻地で、人道的な活動に従事している。
たいていは休暇を利用している学生たちであるが、それを専業にしている人も増えている。
イラクの叛徒に捕らえられた人質たちは孤立した『夢想家』というにはほど遠い。そのことが日本の世論の一部を揺り動かしている。とはいえ、一部の人々は彼らの家族に向かって、子どもたちの無謀な『逸脱』を口汚く非難しているけれど、多くの親たちは、自分の息子や娘たちが、やがて同じような理想に衝き動かされて、同じような冒険に踏み出すのではないかと考えている。」

以下かなり詳細な日本におけるNGO活動の詳細についてのルポルタージュが続く。
記事を書いているフィリップ・ポンスの分析によれば、これは1970−80年代の物質主義に対する子どもの世代からの「ポスト物質主義的」な回答であり、日本社会のある種の「成熟」の証である。
その特徴は「国境を越えた」他者への気づかいである。
そして、それを動機づけるのは「自分たちは与えるよりも多くを受け取っている」という感情である。
最後のパラグラフを採録する。

「日本がその平和主義的なドクトリンを放棄しようとしているまさにそのときに、NGOは戦争と暴力と非寛容を拒否する新しい形態を運んできた。それはイラクでの三人の人質が担おうとしていた理想でもある。
連帯めざす運動が総じてそうであるように、この平和主義もまた孤立したものだ。現に、ヨーロッパで見られたような大規模なデモは日本では行われなかった。それは散乱した、ささやかな精神のきらめきのようなかたちでしか表示されなかった。
しかし、それがやがてひとつのうねりになる可能性はある。神戸の震災がその可能性を証明している。」

私は『ル・モンド』が国際世論を代表していると主張するほどナイーブな人間ではない。
しかし、このかなり行き届いた日本ウォッチャーが寄せた長文の「人質擁護論」がフランスを代表するクオリティ・ペーパーに掲載されたということの意味を日本人が無視してよいとも思わない。
現在の国際関係の文脈に即して考えるならば、ヨーロッパの知的なメディアの多くがアメリカの世界戦略に無批判に追随する日本の「リアリスト」よりも、慎ましく自分の時間と労力をアジアやアフリカの人々のために奉献しようとする日本の「イデアリスト」に好感を寄せるであろうということは、ほとんど自明のことである。
そのヨーロッパのメディアに対してなお「そんな気楽なことを言っているのは、世間知らずのガキだけだ」と言い放つほどの知見と情報を日本の「リアリスト」たちが有しているように、私には思えない。
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