COL委員会

2004-03-16 mardi

COLの拡大委員会。
学長召集の全学的な委員会で、各学部の学部長、学科長、事務長、各センター長、館長、室長、各種委員会の委員長が集まったところで、03年度のCOL申請についての経緯と、04年度の取り組みについて、不肖ウチダがご報告をさせていただいた。
実施委員会はGP= Good Practice という呼称への切り替えを進めているが、最初が「教育トップ100校」つぎが「COL」(=Center of Learning) つぎが「GP」というふうに通称そのものが短期間に三回も変わるということが、このプロジェクトがいかにとらえどころのないものであるかを示している。
この呼称の変化は、ウチダのみるところ、中教審の「教養教育重点大学」構想の延長でこのプロジェクトを立ち上げた文部科学省(つまり官僚たち)と、プロジェクトをじっさいに執行した実施委員会のメンバー(つまり大学人)のあいだの、高等教育の再編に対する「構えの違い」を反映している。
文部科学省は91年の大学設置基準の大綱化以来、基本的には「アメリカン・スタンダード」で押ししてきた。
つまりここ数年来本邦の言説市場をとびかったあの「勝ち組・負け組」のスキームである。
護送船団方式、親方日の丸の時代は終わった(それはとりあえず悪いことではない)。
あとは、生き延びられるものだけが生き延びる。マーケットが生き残る大学と滅びるべき大学を「正しく」選別するであろう、というのがアダム・スミス以来の古典学派経済学の原理である。
文部科学省は大学淘汰にもこの古典学派経済学の原則を適用しようとした。
「大学は淘汰されるべきである」というこの主張に声高に反論する人間は誰もいなかった(すくなくともメディアはそのような反論を取り上げようとしなかった)。
たしかに「大学はもういい加減にしたらどうか」というのは国民のうちに澎湃としてわき上がった天然の感情であった。
60年代には大学の構成員自身が「大学解体」を呼号し、その後は「レジャーランド」と化し、バブルのときには本業を忘れて財テクに走り、教職員たちはセクハラ汚職収賄背任横領産学癒着で社会を騒がせ、学生たちはレイプドラッグAV出演などで社会を騒がせた。
最高学府を「社会全体が護持すべき知と良識のよりどころ」であるとみなすような社会通念は21世紀にはいってほぼ死滅したと申し上げてよろしいかと思う。
だから、「大学は淘汰されるべきであり、その判定は市場が下すであろう」という文部科学省のあまりに古典的なソリューションに対して、明確な異議申し立ては大学人の側からもなされなかったのである。
私は当初COLをそのような文部科学省の淘汰戦略の一環であると考えていた。
大学の序列化によって、「ここはいい大学、ここはダメです」というふうにラベリングすることで、マーケット(つまり大学を受ける志願者と卒業生を受け容れる企業)による選別を加速させ、「ダメな大学」をすみやかに市場から退場させることを狙っているのであろうと考えていた。
だから私たちのWGの申請への取り組みは基本的に「サバイバルレースに勝ち残る」という競合的なメンタリティに領されており、WGでも、いかに実施委員会のレフェリングを「すり抜けるか」という戦略的な計算ばかりしていた。
しかし、このホームページ日記に何度も書いたように、不採択後、COLの評価のプロセスがあきらかになるにしたがって、私はわが不明を恥じたのである。
実施委員会のレフェリーたちは「どの大学を退場させるか」という経済的なスキームを、「どのようにして、いまある大学の教育の質を上げるか」という教育的なスキームにすり替えることによってこのプロジェクトを文部科学省の狙いとは別のものに「換骨奪胎」したことが分かってきたからである。
経済学の用語で言うならば、文部科学省はアメリカン・スタンダードの「分析主義」「個人主義」の枠組みでこの問題をとらえており、実施委員会は非アメリカ的スタンダードの「綜合主義」「共同体主義」の枠組みでこの問題をとらえている。
この対立はある意味で絵に描いたようにみごとに日米の資本主義の対立類型にはまっている。
「分析主義」というのはフォード・システムに代表されるように、すべてのプロダクツを規格化、標準化された「要素」に還元し、それを単純なマニュアルに従って、大量に生産流通させるシステムのことである。
「綜合主義」というのはフレキシブルでアモルファスな「ぬるぬるした」組織をつくっておいて、短期的に頻繁にスペックが変わる工程や、クライアントからのニーズの変動や、現場での自主管理に臨機応変に対応するシステムのことである。
「個人主義」というのは企業的な成果を個人の功績に還元して、そこで得られた利益を個人に報償として還付する評価システムのことである。
「共同体主義」というのは企業的な成功を個人に帰せず、それを支援した同僚や組織全体に帰し、得られた利益を企業の今後の発展のために投資するようなシステムのことである。
ここ10年ほどのわが国企業における経営問題・組織問題がこのふたつの資本主義、ふたつの経営原理の対立という図式のなかで推移してきたことはみなさんご案内のとおりである。
全体的な印象を言わせていただければ、前半はアメリカン・スタンダードの旗色がよく、後半にきて「やっぱり日本の企業は、日本的経営のほうがいいんじゃないの。結局、オレたちには終身雇用・年功序列のタテ社会が合ってるんだよ」というやや居直り的な「原点回帰」が優勢に立ちつつある。
このスキームがかなり近似したかたちで文部科学省と実施委員会のあいだのCOLプロジェクトに対する「構えの差」となって現れてきているように思う。
現に、文部科学省が当初このプロジェクトは「補助金事業ではない」と言明しておきながら、実際には年度中途で予算をつけ、採択校を経済的に優遇するという「勝つ者は勝ち続ける」ポジティヴ・フィードバックを試みたのに対して、絹川委員長は1月のフォーラムでは、あらわに不快の色を示していた。
文部科学省は「良質の個体だけ生き残る淘汰」をねらっており、実施委員会は「日本の大学全体の質的底上げ(それを敷衍すれば、すべての大学が何らかのかたちで生き延びること)」をめざしている。
大学人としては、実施委員会のめざす方向を支持すべきであるのは当然のことである。
それは言い換えれば、GPに採択されようがされまいが、「とにかく、よい教育を行いたい」という素朴な意欲を持ち続け、そのための工夫を重ね、実施委員会からの「アピール」に応えることだろう。
そのためには、「日本の大学なんて、所詮・・・」という日本社会全体に蔓延している「大学蔑視」をはね返すような、「愚直なまでにまっとうな」(@難波江和英)教育実践を積み重ねてゆくことのほかにないと思う。
派手なプロジェクトを花火のように打ち上げたり、豪華な設備を整えたり、すぐに換金できる資格を発行したりすることではない。
学生ひとりひとりとまっすぐに向き合い、その可能性と弱点をしっかりみすえて、それぞれの学生のリソースを最大化できるような「ていねいな」教育に徹することだ。
それができれば、たとえ道半ばにして大学そのものが「淘汰」されてしまったとしても、大学人はその使命を「果たしつつ」倒れたということを誇れるだろう。
04年度はそのような教育理念をふまえて、再度「少人数ワークショップ型授業」で申請を行う予定である。
採択はむずかしいであろうが、この申請の案件を議論する過程で、私たちはじつに多くのものを学んだのであるから、これはたしかに「参加すること自体に意味のある」プロジェクトだったと申し上げてよろしいかと思う。
と、ウチダ的には意欲を新たにした委員会であったのだが、出席者の中には眠っておられる方も、あるいは「ひとごと」だと思っている方も散見された。
学長は全学的な盛り上がりの不足にややご不満そうであったが、とりあえず05年度からはFDセンターも立ち上がることだし、前途遼遠とはいいつつも、大きな流れは正しい方向にむかっているものとウチダは確信している。
原田先生がんばりましょうね。

委員会が終わったので、杖道のお稽古に駆けつける。
30分も遅刻したのに、誰も来てない。
ときどきこういうことがある。
そういうときはゆっくり居合や杖の一人稽古ができるから、それはそれでよいのである。
居合を抜いていたら、ぽつぽつと人がやってきたので、今日は全剣連杖道型三本目「引提ゲ」をお稽古してから、居合刀をつかって礼法と抜刀納刀のお稽古をする。
居合を習っているころはあまり意識したことがなかったが、礼法と抜刀納刀を繰り返すのは、たしかにすぐれた稽古法である。
刀を速く強く抜くというような段階ではまだないけれど、とりあえず鞘の厚みや下げ緒の位置などを感知すること、抜刀納刀のときの左半身のこなしなどは、体術にすぐ応用できるような重要な身体の使い方のヒントを教えてくれる。
時間を忘れて稽古する。こういう「型」ものはあっというまに時間が経ってしまう。

家に戻ると一昨日あった朝日新聞の電話取材の記事の校正原稿がメールで届いていたので、ちょこちょこと直す。
1時間しゃべったことが2行にまとめられていた。(読む人は3秒とかかるまい)
なんかすごく損したような気分になる。
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