極楽から帰ってきたら仕事が待っていた。
日仏哲学会の学会誌にレヴィナス論の書評を10枚書かないといけないが、まだその本を読んでない。
2月中に終わるはずだった『困難な自由』はまだ47頁残っている。
当然、3月中に終わるはずの『他者と死者』は一行も進んでいない。
そこに医学書院の白石さんから三砂先生との対談のテープ起こしのゲラが届いた。
ところへもってきてNTTの三島くんから本のデータが送られてきた。これを3週間で校正しないといけない。
そこに人文会の講演でジュンク堂でしゃべったもののテープ起こしのゲラが届いた。
あああああ。
しかし、これくらいのことでパニックになってはいけない。
パニックというのは、めんどうな仕事が「ダマ」になっている状態を指称することばである。
奇策はない。
仕事をひとつひとつ手近なものからこつこつ片づけてゆくしかない。
ながく仕事をしてきた分かったことのひとつは、「寝食を忘れて」仕事に打ち込むとよい仕事ができるというものではない、ということである。
ものすごく集中して仕事をすると、あとの反動がきつい。
それはただ人生のエネルギーを「前渡し」で使っているだけで、どこかで「精算」を求められることは避けられない。
そして、「前渡し」で使ったエネルギーについて「精算」時に求められる「利息」はかなり高くつく。
日々の家計と同じで、「その日にはいった日銭の分だけ使う」という「from hand to mouth 的無借金経営」が実はいちばん健全で、いちばん生産性が高いのである。
であるから、私はどんなに忙しく、どんなに締め切りがタイトでも、毎日同じ時間に仕事を始め、同じ時間に仕事を切り上げ、あとはお稽古に行ったり、お酒を飲んだり、バカ映画をみてけらけら笑ったりして静かに一日を終える。
無理はいけません。
というわけで、今日はまず午前中にレヴィナスの翻訳を5頁ほどやって、三宅先生のところでこりをほぐしてもらってからレヴィナス本を読みながら電車で梅田へ出て、大阪帝国ホテルでの温情会で美味しい晩ご飯を食べ、帰ってからビデオ屋で借りてきたブライアン・デ・パルマの『ファム・ファタール』を見るのである。
It's just another day.
--------
(2004-03-12 10:11)