五年目のご挨拶

2004-03-05 vendredi

もうすぐホームページのヒット数が100万になる。
さきほどみたら、994447。イワモト秘書の話では明日には「大台」に乗るらしい。
1999年の4月スタートであるから、そろそろ5年。
日記は1999年の7月からの分が残っているが、4月から7月までの日記は消してしまって残存しない。
だから、どんな意図でこのホームページを始めたのか、最初のころはどんなことを考えていたのか、思い出せない。
残しておけばよかったのだが、そのときはまさかホームページ日記を5年も続けるとは思っていなかったのである。
ともあれ、100万ヒットも目前ということでもあるので、ここはひとつ「ホームページ日記の歴史的・社会的機能」について、ひとこと述べさせて頂き、ご挨拶に代えたいと思う。

私はもちろん、インターネットというコミュニケーション・ツールにたいへん深い恩恵を蒙っている人間である。
インターネットがなければ、自分の考えをひろく発表する機会が私には構造的に与えられていなかった(1990年から2000年までの6年間に私のところに東京のメディアから来た原稿依頼は、学会発表の活字化が1件、書評が2件だけである)。
これは単にウチダが三流の学者であるということだけでなく、メディアの関心が過度に「東京一極集中」に偏しており、東京以外の都市にも学者や知識人がいて、それぞれに独自の研究や思索にいそしんでいるということを、ほとんど構造的に失念されていることにも起因している。
さいわい、インターネットという個人発信ツールが整備されたおかげで、欣喜雀躍、ただひたすら毎日大量のテクストをウェブ上に書き込んでいった。
それがたまたまリハビリ中のロック少年(そろそろ中年前期)の増田聡くんの目にとまり、増田くんの張ってくれたリンクをたどってきた冬弓舎の内浦亨さんの目にとまり、内浦さんのお骨折りで『ためらいの倫理学』という本がでることになり、同じ頃インターネットつながりで「メル友」となった法政大学の鈴木晶先生に本の帯文を書いてもらい、それを読んだ晶文社の安藤聡さんや新曜社の渦岡謙一さんや文春新書の嶋津弘章さんから書き下ろしの注文が来て・・・
というふうにして、インターネットがなければおそらく出版されることがなかったであろう本が出され、出会う機会がなかったであろう多くの友人知己読者を得ることができたのである。
その意味では、パーソナル・コンピュータとインターネットの発明と技術の進歩にウチダは現在の預金残高と日々の快楽の多くを負っており、シリコンバレーならびに秋葉原方面(でいいのかな)には足を向けて寝られない立場にある。

こと私の業界に限って言えば、インターネットの第一の功績は、学術情報の発信が「東京一極集中的なメディア」と「査読のある学会誌」のコントロールを離れ、研究者個人が「産地直売」的に「バザール」に出品できることになった、ということにある。
もちろんメディアや査読の「スクリーニング」をショートカットしたために、ふつうなら絶対に市場に出回るはずのないジャンクな情報も同時に氾濫することになった。
だが、専門家による精密なスクリーニングを経由させて「純良な情報」だけを精選するより、ジャンク情報バカ意見を「込み」でバザールに流して、そこで「市場の淘汰圧」に任せた方が、学術情報の生産性も流動性も、情報を選別する読者の側のリテラシーも、結果的には高まるのではないかと私は思っている。

アイヴォリー・タワーからの情報の一元的発信という発想は、「賢者の支配」「哲人王」「徳治」の理想とリンクしている。
これはたしかにうまく運用されれば効率的なシステムではあるのだが、「どの情報を発信し、どれをリジェクトするか」を判定する、「情報のクオリティについての判定力」そのものについては、誰も判定できないという「自己の権威による自己の権威づけ」循環構造になっている。
繰り返し述べたことだが、すぐれた経営者というのは、自分が開発したビジネスモデルの欠陥に、他の誰かに指摘されるよりも早く気がつく人間のことである。
同業他社があとを追随し、社員たちがボーナス加増でほくほくしているときに、そのビジネスモデルからの「撤退」を宣言する人間のことである。
学会における査定の妥当性についても同じことが言える。
専門家によるスクリーニングが社会的信認を得るためには、専門家とは「自分の判定力の不確かさについて、非専門家よりも、厳しくかつ徹底的な反省を行う」人々であるという認識が共有されていなくてはならない。
しかし、残念ながら、日本の学術専門家というのは、総じて自分の判定の間違いや不確かさ確かさについては、非専門家からどれほど批判されても反証を挙証されても、言を左右にして反省の意を示さない。
インターネットの出現によって学術情報の検証の場のかなりの部分は「象牙の塔」から「バザール」へ移行した。
このことが歴史的必然であったかどうかは分からない。
しかし、情報を独占している「専門家」に決定権を委ねていれば、万事うまくゆくという「親方日の丸」的な発想法が私たちの社会から消えつつあることだけは確かである。
人は歴史的変化から受益した場合には「歴史の審判力」について肯定的になり、損失を蒙った場合には「歴史の迷走性」を難じる傾向がある。
私はいま進みつつある歴史的変化からどちらかといえば受益している人間であるが、そのことは「歴史の審判力を信じない」という私の基本的な構えにはいまのところあまり影響を与えていない。
だから、あと5年後にインターネット・コミュニケーションがどのような影響を世界にもたらすのか、私にはまるで想像がつかないけれど、その変化が私自身にとってかならずや「よいもの」であるとは思っていない。
とりあえず「メッセージはその内容によってではなく、むしろ差し出される仕方によって、嘉納されるか、拒絶されるかが分岐する」ということについての合意がインターネットのおかげで、ゆっくりとではあれ、世界にひろがりつつあることを多として、五年目のご挨拶としたいと思います。
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