1月31日

2004-01-31 samedi

前期入試が終わったところで、私大の志願状況がだいたい分かってきた。
まだメディアでは報道されていないが、「すごいこと」になっている。
03年度には私学の3割近くが定員割れを起こしているが、間違いなく04年度はそれがさらに加速することになるだろう。
それは「市場から退場」せざるを得ない大学の名前がはっきりするということだ。
こういう場合の情報開示は遂行的なものである。「危ない大学」というラベルを貼られると、来年の受験生はその大学をいっそう敬遠するようになるから、アナウンスメントは中立的なものではありえない。それはほとんど暴力的な情報開示である。
しかし、それでも情報は開示されなければならない。

手元の私学志願者速報は29日段階の数値で、まだ後期入試をほとんどの大学が残しており、志願者総数はそれですこし底上げされるだろうが、そこに「前年度並み」数値を入れて計算しても、それでも「すごいこと」に変わりはない。
18歳人口は前年比5%減である。自然減の95%がベースになる。そこからさらにこのあと加算される後期入試志願者分を考慮すると、今の段階で前年比90%程度であれば、「前年並み」ということになる。
しかし、「前年並み」という大学はほとんど存在しない。
一握りの私学がなんとか平年並みを維持し、残りは惨憺たるありさまである。
私が見た中でいちばん破滅的な数値は前年比24.5%(大阪薬科大)
大阪学院大(30.4%)、京都嵯峨芸術大学(31.5%)、大阪商業大(48.3%)、帝塚山大(53.5%)、大阪産業大(56.0%)、京都精華大(57.2%)、などもかなり厳しい数字である。
それでも数値を公開しているだけ良心的である。志願者数を公開していない大学も少なくないのである。
関西の私学名門校である関西学院、関西、立命館、同志社の四大学はそれぞれ前年比が81.4%、77.0%、91.4%、91.1%
立命館と同志社はおそらく「前年並み」をキープできるだろう。関西学院、関大は厳しい。

阪神間の四年生女子大は二極分化が進行した。
武庫川女子大(93.8%)と本学(101.9%)をのぞくと前年並みを確保できる大学はなさそうである。
神戸親和女子大(78.6%)、甲南女子大(60.3%)、神戸松蔭女子学院(60.9%)などは危険水域に入っている。
本学の競合校である京都女子大は95.3%、同志社女子大は99.4% 
つまり関西の女子大では、京都女子大、同志社女子大、武庫川女子大、そして本学の四校がさしあたり「サバイバルゲーム」の「勝ち残り」として市場に選ばれた、というふうにこのデータは読むことができる。

戦後日本の社会システムの多くはすでに制度疲労の限界に達している。
政治システムも官僚システムも金融も地方自治もマスメディアも、もちろん教育もそうだ。
大学教育システムは「このままでは破綻する」ということがもう15年前から分かっていた。
しかし、そのために何かしなければならないということに学内合意を得て、主体的に実行した大学は非常に少なかった。
当り前だけれど、そのときトップにいる人間というのはあと数年で停年退職する教職員である。
彼らの在任期間中にはまだ問題は前景化しない。
うかつに新しいプロジェクトを立てると、学内に波風が立つし、リスクも高い。
そんなリスクを取るよりは、何もしないで停年を迎え、満額の退職金をもらって、次のトップに問題を先送りする方が、彼らからしてみれば合理的である。
日本の経営者の非常に多くがそのような「合理的な考え」方をしてきた。
その「合理的思考」の結果、たくさんの金融機関が破綻し、無数の企業が倒産した。
同じことが大学についても起こる、というだけのことである。

繰り返し言うように、18歳人口は1992年から2011年までに40%減る。
それは40%の大学は市場から退場しなければならないということを意味している。
ほんとうなら、すべての大学が40%ずつシュリンクする、というのがいちばん合理的な解決なのだが、そういうことにはならない。
はっきりと二極分化が起こり、「消える大学」と「残る大学」が非情に選別される。
どこが「消える」のかは今年の数値からほぼ予測がつく。気の毒だけれど、世の中というのはそういうものである。
大学もようやく「世間並み」になるというだけのことである。
これから先多くの大学区の教職員が職を失って路頭に迷うことになる。
そのような運命に彼らを導いたのは、「合理的な思考」をして「逃げ切り」に成功した過去15年間の大学経営のトップたちである。そのことだけは覚えておいた方がいい。
その人々の責任はいまさら問いようがない。
私たちにできるのは、「合理的な思考をする人間」はしばしば彼が得たベネフィットの数十倍数百倍のコストを後代に残すという経験則を骨身にしみて味わうことだ。
自分の今のベネフィットをキープすることよりも、後代がかかえこむコストを削減し、リスクを最小化するために「今から」努力を始めることの方が、長いスパンではより「合理的」である。だから、まだ努力する時間的余裕があるうちに、ただちに「後代のための努力」を始めなければならない。
そういうふうに発想を切り換えることができた大学だけがこのさき生き残れる。
まだサバイバルゲームは始まったばかりである。
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