1月17日

2004-01-17 samedi

京大の研究会で発表。
仏文の吉田城くんが仕切る「フランス文学における身体の意識と表現」グループと人文研の若手研究者のみなさんが組織している「身体の近代」グループのジョイント研究会にお招き頂いたのである。
吉田くんは日比谷高校のときの同期生であり、1969年の入試のときは雪の中、故・新井啓右くんといっしょに京大を受けた。
吉田、新井両君は日比谷高校を代表する伝説的秀才であり、ウチダは「日比谷高校の恥」とまでいわれた不良高校生であったのだが、なぜかお二人は「旅のお供」に私を加えてくださったのである。
吉田くんはその年ちゃんと文学部に合格して、そのまままっすぐ「仏文研究者の王道」を粛々と歩まれ、日本のみならず世界的なプルースト研究の権威となられたことはみなさんご案内のとおりである。
ウチダは法学部を受けたが諸般の事情により無念の涙をのみ、もののはずみで「仏文研究者の渡世の裏街道」をよろよろと歩み、武道系レヴィナシアンというものになった。
同じ年に高橋源一郎さんも京大を受けて落ちちゃったのであるが、あの年に私も高橋さんも京大に受かっていれば、おそらくその後の新井くん吉田くんのアカデミックなプロモーションはそれほど「粛々」としたものにはならなかったであろう。(新井くんはその翌年に東大に移り、法学部助手のときに助教授昇任の直前に27歳で心不全で夭逝した。神さまは残酷なことをされるものである・・・)
京大の時計台を見ると、35年前に火炎瓶の飛び交う同じ正門前で、吉田くん新井くんと一緒に「明日の試験はだいじょうぶかね」と見つめ合ったことを思い出す。
その京大の人文研で、「超-身体論」という一席でご機嫌をうかがう。
いつもなら鼻歌まじりで小咄をふたつみっつ繋げて「おあとの支度がよろしいようで」で済ませるのであるが、研究会にゆくと石井洋二郎さんとか多賀茂さんとか大浦康介さんとかいう仏文業界のお歴々がずらりとおられて(行くまで知らなかった)ウチダも一瞬顔面蒼白となった。
聴衆は学生さんか院生さんばかりであろうと気楽に構えて、何を話すか何も決めずにふらふらいって、待ち合わせのカフェに20分前についたので、その20分間にネタを考えたのであるから、オーディエンスの顔ぶれを見てキモを潰すのも当然である。
それでも「高校のときのご学友」の仕切りであるから、あとの始末は吉田くんにおっかぶせて、小咄を七つ八つと繰り出して話をごちゃごちゃにしてデタラメ話を必死で打ち上げたのである。
「なんであんなものを呼んだのだ」というような(当然の)抗議があっても、それは人選を誤った吉田くんの咎であって、ウチダの一切あずかりしらぬことである。
あずかり知らぬことであるので、終われば気楽なもので、もうひとりの発表者である人文研の森本淳生さんの格調高いヴァレリー身体論の質疑応答では平気な顔で「ヴァレリーの運動性無意識というのは、あれですな。合気道の術理と深く通じるものがあるです。はい」などというコメントをさしはさんで、満座の白眼視もものかは。
京大はすっかりきれいになり、時計台にはなんとフレンチのレストラン La tour まで出店しており、そこで打ち上げの懇親会が持たれる。
ワインが入ってしまえばこっちのもの。
吉田教授の「ご学友」という不可侵の立場をいいことに前に言いたい放題、飲み放題。
碩学のみなさんも微醺を帯びるや「いや、ここだけの話・・」が縦横に飛び交い、まことに愉快な一夕であった。
京大では今年の夏に集中講義にもお招き頂いている。
ウチダのような半チクな学者がかりそめにも京都大学で教壇に立てるのは、ひとえにレヴィナス老師のご威光と多田宏先生の直門という「身体技法フィールドワーカー」の強みである。
「虎の威を借るラスカル」とはいいながら、あやまたず「虎」に師事した師匠眼の正しさだけは認めて頂かなくてはならない。
厳寒の京都をあとにしながら、あらためて師友のありがたさに合掌したウチダであった。
吉田くん、どうもありがとう。研究会のみなさん、お騒がせしました! また遊びましょう。
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