1月12日

2004-01-12 lundi

成人の日。むかしは1月15日にフィックスであったが、いつの頃からか1月の第二月曜に固定され、おかげで三連休ということになった。
三連休はありがたい。今日もお休みだ。
宴会あけの昨日はさすがに頭がパーになっていて、むずかしいことは何も考えられないので、『晩春』を見て(いったい何回目であろうか・・・)、杉村春子と笠智衆の「そりゃ、食うよ」「そうかしら」「そりゃ食うよ」「そうかしら」「食うよ」というところでげらげらと床を転げ回って笑う。
どうして、こんなに可笑しいのであろうか。
チャンネルを換えたら『寅さん』をやっていて、笠智衆がここでも「御前様」で登場していた。
笠智衆は1904年生まれであるから、『晩春』の時(1949年)には45歳である。このとき役の年齢は56歳。
『東京物語』(1952年)のときは48歳であったが、80歳にしか見えなかった(名越先生によると、老人性のパーキンソン氏患者特有の身体の震えまで演じていたそうである)。
それから40年経ってもまだ『寅さん』で80歳の役をやっているのである。
まことに稀代の名優である。

つねづね申し上げているように、『晩春』の曽宮周吉教授は、私の若年からのロールモデルであった。
「いつか、あんなじじいになりたい」と強く念じていたのであるが、強く念じることは実現するというお師匠さまのお言葉通り、ちゃんと娘も巣立って、晴れて一人おぼつかない手つきでリンゴの皮をむく独居老人となった。
曽宮教授と違うところは、能楽鑑賞の度が過ぎて、仕舞や謡曲までうなるようになったということと、行きつけの店が「多喜川」ではなく Re-set であるということ(ついでに愛飲するのが熱燗ではなく、冷たい白ワインであること)、あとは相変わらず原稿書きに追われ、学内でもさしたる地位になく、友人と酌み交わしてはよしなき話に興じ、若い女の子が遊びに来るといそいそとご飯を作り、ときどき麻雀をやりたくなるが相手がいないという点もまるで変わらない。
できれば死ぬ前にるんちゃんの花嫁姿を見たいけれど(ついでに「婿どの」に長説教をかましたいが)、まあ、それはそれで先方のご事情もあることだし、あまり差し出がましいことは望むまい。
そのうち『父ありき』か『戸田家の兄妹』のお父さんみたいに、「ああ、いい気分だ」と言っているうちに酔生夢死の境でころんと死ねるはずである。

『晩春』を見てから、諸星大二郎の『西遊妖猿伝』を第一巻から読み返して寝る。
諸星大二郎の中国ものはまことにディープであるが、いったい孫悟空と玄奘法師はいつになったら天竺にたどりるけるのであろう。だいたい沙悟浄だってまだ出てこないのである。はたして私が死ぬ前に完結してもらえるのであろうか。諸星先生、他はいいから、『西遊妖猿伝』の続き書いてね。

一日だらけていたので、朝6時に目が覚める。
まだ真っ暗である。
コーヒーをいれて、レヴィナス『困難な自由』の翻訳にとりかかって、がしがし訳す。
がしがし。
老師のお言葉はまことにひとことひとことが叡智に満たされている。
本日のお言葉。

私たちの西欧の歴史学と歴史哲学は、征服者によって書かれ、勝利によって伝播された。だから、それはユマニスムの理念を告知しはするが、征服されたもの、犠牲に供されたもの、迫害されたものについては、まるでそのようなものには何の意味もないかのように、無視するのである。
西欧の歴史学と歴史哲学はたしかに暴力を告発はする。しかし、この歴史そのものが、この矛盾を意に介することなしに成就されたのである。なんと尊大なユマニスムだろうか。暴力の告発は、翻って別の暴力、別の傲慢を創始する危険がある。それが疎外であり、スターリン主義である。
「戦争に対する戦争」は戦争に対する疚しさなしに戦争を継続させる。
私たちの時代はたしかに非暴力の価値について、あらためてその理を説かれなくても、熟知している。しかし、ここにはおそらく受動性についての、卑劣さでないある種の弱さについての、他者に強いることの許されぬ種類の忍耐についての省察が欠如している。(「ジャコブ・ゴルダン」)

「卑劣さではない弱さ」の価値について、「他者に強いることの許されぬ種類の忍耐」の意味について、私たちの時代は歴史から何を学んできたのであろうか。
私たちはレヴィナスを今こそ読まねばならない。
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