1月5日

2004-01-05 lundi

山本浩二画伯の個展のオープニング・パーティ。
画伯の個展は東京はモーリス画廊、大阪は番画廊とだいたい決まっている。
大作主義の画伯にはいささか狭いスペースだが、淀屋橋のほとりというロケーションはたいへんありがたい。
熱海から新幹線でもどって、たまった年賀状に返事を書いて、入れ替わりに東京へ帰るるんちゃんを送り出してから、ワインとチーズを片手に梅田に出る。
会場はすでに顔なじみの画伯の友人たちで立て込んでいる。
人々の隙間を縫って、とりあえず新作を拝見。
水墨画のような枯淡な画風のタブローが二点あり、左側の絵が気に入ったので、即購入。
私は実は山本浩二のかなり熱心なコレクターなのである。タブロー、版画、クロッキーといろいろ取りそろえており、わが家の装飾というのは山本くんの絵だけである。
画伯の没後、これらの絵画が高騰する予定であるので、その日のくるのを指折り数えて待っているのであるが、画伯は私の百倍くらい健康な人間なので、画商に「おおお、こ、これはすごいコレクションですな! 一財産ですぜ」と言われて「ふふふ、この日の来るのを待っていたのだよ」と頬をゆるめて笑うのは夢に終わりそうである。
しかし、つらつらおもんみるに、兄ちゃんの会社や平川君の会社の株式や山本浩二の絵など、私はけっこう「宝くじ」を所有している。
これらの「宝くじ」のどれかが「当たったら」どうしようかな、と空想するのが私の趣味の一つである。
とりあえず、芦屋に百坪ほどの土地を買って、道場を建てる。
道場は平屋の和風建築で、畳が50畳に三間四方の板の間がついていて、畳は見所、板の間はそのまま稽古舞台に使えるようになっている。
板の間の横に渡り廊下があって、それを橋懸かりに見立てる。当然庭には松。
渡り廊下の向こうに和室が二つ三つある。私の書斎と居室である。
廊下がぐるりと三方を周りを囲んでいて、障子を開け放つと、全部吹き通しになる。
当然、生活様式も和風となり、私はそこで着物を着て、長火鉢によりかかって、庭の梅の木の鶯や築山にかかる月などを眺めてひねもす沈思黙考してすごすのである。
なんと、気分がよろしそうではありませんか。
土地代に5億。建ものに3億ほどかかるし、舞台の背後の老松の絵とか、調度の民具とか、ひねもすのたりの大島紬とか、いろいろかかりがあるので、とりあえず10億ほどは必要である。
そんなことを夢見心地で考えながら画伯の作品をゲット。
そのあと、楠山さんご夫妻、尾中さん、塚脇さん、藤井さんなど、年に一度会う山本画伯のおともだちとともに、新御堂筋の「亀寿司中店」へ雪崩れ込む。
ここのお寿司はたいへんに美味である。
中トロ、バッテラ、鰻、穴子、烏賊、蛸、鰯、鉄火巻、かんぴょう巻などをむさぼり食い、日本酒をくいくいのむ。
芸術的感興を満たされ、談論風発、美味を満喫し、まことにしあわせな新年の行事である。
みなさんとお会いするのは、年に一度、この機会だけなので、「それではまた来年お会いしましょう、よいお年を」と挨拶をかわして、お別れする。

朝日新聞の川崎さんという方から「『おだじまん』が再開しましたよ」というお知らせメールが届いた(まことにご親切な方である)。
http://www.wanet.ne.jp/~odajima/diary/top.html
2003年はほとんど更新されなかかった小田嶋隆先生のウェブ日記がお正月からまた読めるようになったのである。
古手のオダジマファンにとっては、まことにうれしい「お年玉」である。
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