1月1日

2004-01-01 jeudi

あけましておめでとうございます。
顧みれば、まことにいろいろなことのあった一年間であった。
ほんらいであれば年末におこなうべきであるが、一日遅れで、元旦に2003年の「重大ニュース」の総括を行いたい。

1.いろいろな人と出会った。

あれ、一つで終わってしまった。
でも、ほんとうに多くの卓越した人々に辱知の栄を賜り、ただ驚嘆しているうちに一年が終わってしまったのである。
去年はじめてお目にかかって、私の思想や行動に強い影響を及ぼすことになったみなさん、と言えば。(文中ゴシック体は2003年にはじめて出会った方)

まず指を屈すべきは、その後私のなくてはならぬ主治医となった三宅安道先生。
三宅先生のお導きで、私は池上六朗先生という希代のヒーラーにお目にかかり、池上先生の三軸自在の思想はウチダの世界観と身体観に決定的な影響を及ぼすことになった。
三軸とのかかわりでは、赤羽恵さんはじめ何人もの治療者の方と知り合うことができたが、いちばん印象的だったのはうちのゼミのケンマちゃんの卒論に「M氏」として登場する「平成の残侠」最上浩さん。
「ワルモノ・エディター」白石正明さんと会ったのも去年である。辣腕エディターは「赤子の手をひねる」ようにウチダを否も応もなくケア本企画にまきこんだのであるが、その白石さんと晶文社の足立恵美さんがなぜか私を三砂ちづる先生の出会いをセッティングして下さった。
三砂先生の「お産の話」は人間が「人間になりはじめる」のが、私たちが想像している以上に「前に」遡るということを教えてくれた。
三砂先生のお話と私がこの一年ほどずっと考えていた「死の儀礼」の論件(人間が「人間であることを止める」のは、私たちが想像しているよりずっと「先」であるという考想)と併せると、「人間のエリアは人間が思っているよりずっと広い」という新しい考え方に結びつきそうな気がする。
毎日新聞の中野葉子さんとは、「もう新規の仕事はできませんから、仕事の話ぬきで、ただおしゃべりするだけなら」という条件をつけて夏に芦屋でお会いしたのであるが、私のおしゃべりから池上先生と三砂先生がただものではないことを察知するや、たちまち池上本、三砂本の企画をばりばりと立ててしまった。私はそのおかげで池上先生とごいっしょに本を出せることになったのであるから、「おしゃべり」の効用を侮ることはできない。
そして、どきどきのファーストコンタクトは、晶文社の安藤聡さんにセッティングしていただいた高橋源一郎さんとの出会い。
きっかけは高橋さんが朝日新聞の書評でウチダ本を評してくれたこと。さっそく角川書店の山本浩貴くんが『ため倫』文庫版の解説を高橋さんに頼んでご快諾いただき、一方私は『現代詩手帖』の「高橋源一郎特集」に批評家論を寄稿し、講談社から出る『ジョン・レノン対火星人』の文庫の解説を書くことになる。その間、高橋さんは、”メル友” 鈴木晶先生のご近所に引っ越してこられたし、旧友竹信悦夫くんの高校時代のツレが高橋さんであり、大学時代のツレが私なのであるから、もとより深いご縁があったのである。今年は神戸女学院大学の集中講義にお越し頂くことになっている。まことに楽しみなことである。
インターネット持仏堂の釈徹宗先生とお会いしたのも去年の夏のことである。それまでも釈先生からはご本を頂いたり、メールのやりとりはしていたのであるが、温顔に知性と魂の清らかさがにじむ学僧と共著で本を出すという野心的企画がぐいぐいと進行することになったのは、本願寺出版社の「スーパー・エディター」藤本真美さんの圧倒的な迫力のせいである。
忘れがたい印象を私に残した人というと、三宅先生にご紹介いただいた二人のトップアスリート、K-1の武蔵さんと、プロボクシングの本田秀伸さんの名前を落とすことができない。そういえば、お二人とも、芦屋川のイタリアン・レストラン「ベリーニ」でぱくぱくご飯を食べながら、お話を聞いたのである。美味しかったなあ、ベリーニ。
橘さんと国分さんが初夏に三宮駅前に開いた Re-set では新しくいろいろな方々とお会いしたし、講演やシンポジウムも去年はずいぶんたくさんやったので、そのつど企画の方々(朝日カルチャーセンターの河原さん、カウンセラーの信田さよ子さんとの対談をアレンジしてくれた米山さん、芦屋川カレッジの秋山さん、龍谷大学の亀山佳明先生、お世話になりました)とも聴衆の方々とも新しいご縁ができた。
でも、個人的には、去年いちばん楽しめたのは、大学院にどどどと登場された男子(おじさん)聴講生のみなさんとの交友である。
”ダンジリアス・エディター” の江弘毅さんと ”ご近所川ドクター” 佐藤友亮さんは一昨年登場なので、「去年の出会い」には含まれないが、新たに川崎さん、渡邊さん、光安さん、谷口さん、ナガミツくん(おふたりとも、いつのまにか合気道にも入門された)、影浦くん、だいはくりょく君(いつのまにか『ミーツ』のウチダ担当)、長崎通信の葉柳先生の弟子である須田くんらが登場。
とりわけ、”浜松のスーさん” こと鈴木さんには「うなとろ茶漬け」をおごってもらった上、勤務先の天竜中学の女子テニス部員への合気道指導の機会をご提供いただき、さらに浜松の中学の先生がたとのバトルトーク懇談会というイベントまで企画して頂いた。その折りの合気道講習がどうやらお気に召されたか、鈴木さんは、多田塾同門の浜松の寺田さんのところに入門して、私の「兄弟子(山田博信師範)のお弟子さんのお弟子さん」(「姪の子ども」って、親族名称ではなんというのであろう)というものになったのである(鈴木先生の「スーさんの悶絶うなとろ日記(仮題)」は新年より本ホームページで新連載だ)。
大学院の聴講生のみなさんとまさかこれほど「濃い」おつきあいになるとは思わなかった。
合気道部の ”スーパー一年生” とウチダゼミの ”変人” 新入生たちはじめ教室で出会ったすべての学生たちをこのリストの最後に付け加えないといけない。
おっと、もうひとり、この半年のあいだ、ウチダがいちばんお世話になった新人の名を忘れるところであった。
そう、「痩せて不健康そうなサラリーマン」と私がうっかり書いてしまったために、そのヴァーチャル・パーソナリティに回復不能のダメージを負ってしまったIT秘書イワモト・トクトクくんである。イワモトくんは「痩せて不健康そうなサラリーマン」というよりは「細身で翳りある青年」ということにこの場を借りてご訂正させて頂きたい。
このほかにも、多くのありがたいご縁を新たに賜った。ひとりひとりの名を挙げることはできないけれど、年頭にあたって、旧年中のご厚情に深謝するとともに、2004年の倍旧のご友誼を賜ることができますよう、拝してご挨拶を申し上げる次第である。
みなさん、ことしもよろしくね。
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