12月24日

2003-12-24 mercredi

大掃除二日目。
和室(ひそかに「娯楽の殿堂」と命名している六畳間)の掃除だけなのであるが、ここには本やビデオやDVDがごろごろしているので、始末が悪い。
毎日目にする書棚にどういう本の背表紙がならんでいるかで、こちらの知的傾向というのがかなり決定されてくるからである。
書棚のスペースが十分にあればよろしいのだが、ぎちぎちなので、書斎、和室、寝室、納戸に振り分けをしなければならない。
とりあえず現代思想、哲学関係は書斎。文学、ノンフィクションは和室。マンガととうぶん読みそうもない本は納戸。寝室は「寝る前にちょいと読みたい本」(マンガとSFとミステリー)という原則を立てる。
目の前にはとりあえずレヴィナスとラカンを三十冊ほど並べる。
一等地には村上春樹・高橋源一郎・矢作俊彦・橋本治・小田嶋隆が鎮座する。
村上龍は白川静に追い出されるかたちで今回は寝室へコンバート(『字通』とか、でかいでしょ)。
それから来年に備えてアメリカ研究関係、身体論、武道論、大学評価関係本(とほほ)、日本論(網野善彦さんの本とか)を並べる。
いちばんかさがはるのは「中公世界の名著」である。
これはウチダにとっては座右不可欠のレフェランスブックであるので、辞書と同じように手を伸ばせば届くところにずらっと並んでいないと困るのであるが、なにしろ50冊もあるし、重いので毎度置き場に窮するのである。
中公がこれをCD化してくれるとほんとうにありがたいのであるが・・・
中央公論社の方、この頁を読んでいたら、ぜひぜひ次の営業会議で企画出してください。「日本の名著」のCD化も。20万円くらいなら即買います。
そんなことを書いても仕方がない、と思う方もおられるかもしれないが、そんなことはないのである。what a small world で、けっこうこういうときにかぎって、「世界の名著をCD化してもいいけど、売れるかなあ?」と悩んでいる中央公論の営業の人がこの頁をたまたま読んでいたりするのである。
現に、先日日比勝敏くんと梅田で会ったという話を書いたら、日比くんに仕事を頼もうと思っていたが、連絡先が分からなくなっていたYゼミナールの国語科の課長さんが、この頁を読んで、「おお、こんなところにいたのか!」ということがあったばかりなのである。
だから「こんなことが実現したらいいな」と思うことは、なんでもホームページ日記には書いておくことにしているのである。

4時間かかって和室の書棚の整理が終わり、よろよろと立ち上がり、シャワーを浴びてから、三宮へクリスマスのお買い物。
芦屋川にもどって Mouton d'or でクリスマスディナーを食す。
シャンペンから始めて、貝のサラダ、オマール海老、鮑と鯛と雲丹、メインは鴨。
Belini も美味しいけれど、ムートンドールも「こってり」で美味しかった。

夜風に吹かれて芦屋川沿いに家に戻り、アンジェイ・ワイダの『地下水道』を見る。
ポランスキーの『戦場のピアニスト』を見て、ワルシャワ蜂起の描き方が「なんか、手ぬるいなあ」という印象があったので、比較を思い立ったのである。
『戦場のピアニスト』のワルシャワの廃墟はあきらかに「セット」ぽかったが、『地下水道』のワルシャワの廃墟は、もう生々しく「廃墟」である。
ウチダが育った東京の多摩川沿いのふつうの市街地でも、1950年代の終わりまでは、家のすぐ前に空襲で焼け残った工場の跡地がくろぐろと広がって、「戦争の爪痕」が手つかずに残っていて、そこが子どもたちの遊び場だったのである。
ましてポーランド。
『地下水道』は戦争が終わってまだ12年目の映画である。おそらく、このワルシャワの廃墟はセットじゃなくて、「ほんもの」であろう。
ひどく荒廃した感じが漂っている。
レジスタンスの兵士たちの妙なリラックスぶり(ドイツ軍の前線と向き合っているところでピアノを弾いたり、セックスしたりしている)と地下水道の中での唐突な脱力も、「演技」だとするとすごく不自然な気がするが、キャストもスタッフも「そのとき」を知っている人たちばかりなのだから、たぶん「そういうもの」なのだろう。

戦争映画についてはいつも思うことだが、実際の戦闘経験者であるフィルムメーカーが作った戦争映画は、なんだか「のんびり」している。
『史上最大の作戦』は1962年、戦後17年目の戦争映画である。当然キャスト、スタッフの多くは第二次世界大戦の従軍経験者である。
一方、『プライヴェート・ライアン』は1998年の映画であり、キャスト、スタッフの中にも観客の中にももうノルマンディー上陸作戦の経験者はほとんどいない。
しかるに、この二作を見比べると、『史上最大の作戦』のオマハビーチ上陸作戦は、『プライヴェート・ライアン』のそれに比べると、まるでピクニックなのである。
不思議な話だ。
戦争経験者の描く戦争風景がのんびりしていて、戦争に行ったことのない人間の描く戦争がヒステリックであるというのは。
これについて話し始めると長くなるので、(まだ大掃除の最中だから)やめておくけれど、そうなのである。

例えば、「捕虜収容所もの」というジャンルがある。
ところが、『第17捕虜収容所』(1952年)と『大脱走』(1963年)と『Hart's war』(2002年)(邦題忘れた。ブルース・ウィリスとコリン・ファレルが出たやつ)を見比べると、「これが同じ捕虜収容所なの?」と疑うほど、時代が下るにつれて、どんどん捕虜の待遇が劣化し、人心がすさみ、ドイツ軍兵士が「悪魔化」してくるのである。
どう考えても戦争が終わって7年目の『第17捕虜収容所』の方がリアルであるに決まっている(そこらに捕虜経験者がぞろぞろいたんだから)
でも、なぜだか「リアルな戦争」の登場人物の方が「リラックスしている」のである。
これは人間の記憶、とくにコメモレーション(共記憶)について考察するときの重要な手がかりになる事例であろうとウチダは考えている。

『地下水道』をいまハリウッドでリメイクしたら、まったく同じ脚本であっても、ぜんぜん違うもっと活劇的な映画に仕上がったであろう。
というわけで、明日は『灰とダイヤモンド』を見ることにする。
こちらは『地下水道』のゲリラ戦を生き延びたテロリストの物語。
主演は「ポーランドのジェームス・ディーン」ズビクニエフ・チブルスキー。
どういう偶然か、私が使っているあるサーバーへのパスワードは(あっちから送ってきたんだけれど)「ズビグニエフ」なのだ。
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