12月23日

2003-12-23 mardi

大掃除初日は、まず納戸と寝室とトイレと洗面所と廊下の掃除である。
一人暮らしの気楽さで、音楽をかけながらのろのろと仕事をする。
初日のテーマ音楽は『コバルトアワー』(ユーミン)『A long vacation』(大瀧詠一)、『サイモン&ガーファンクル・ベスト』、『ニール・セダカ・ベスト』でありました。
なぜか年末のすす払いになると60-70年代の楽曲が聴きたくなる。
それにしても『コバルトアワー』はいいね。
「あなたはむかし湘南ボーイ、わたしはむかし横須賀ガール」というあたりで「きゅん」と胸が痛くなる。
そうだよなー。おいらにもそんな時代があったよな。(別に湘南ボーイじゃないけどさ)
これと「山手のドルフィンは。小さなレストラン」にウチダは弱い(これは別アルバム)。
横浜の山手のドルフィンからは、ほんとに海がひろびろと見えて、「ソーダ水の中を貨物船が通る」のである。よいのだ、あれは。「きゅん」
でも、『コバルトアワー』がいいのは当たり前。ベースは細野晴臣、ギターが鈴木茂、キーボードが松任谷正隆、コーラスアレンジが山下達郎で、バックコーラスが吉田美奈子、大貫妙子、山下達郎。ウチダのいちばんすきな「音」なの、これが。
「ルージュの伝言」は『魔女の宅急便』の冒頭の夜の飛行シーンで印象的に使われていたけれど、あれは「宮崎駿+ユーミン+山下達郎」、瞬間的に天才が三人集まった奇跡的なシーンだったんだね。

掃除が終わってから、お風呂にはいって、レヴィナスの翻訳を3時間。
それから梅田に出かけて、日比勝敏くんとお酒をのむ。
日比くんは若手の文学者であるがまだ筆一本では食えないので、予備校の先生をしている。
きょうび「文学青年」というのは、もうほとんど絶滅寸前種である。
ウチダは人類学的見地からこの早急な保護の必要を訴え、「文学青年を絶滅から救う会」という任意団体を立ち上げているのである。
その「文学青年絶滅会」(ひどい略し方だな)の本務は日比くんのような青年文士の肩をどやしつけて、「がはは、ま、一杯どうかね。なあに、文芸評論家なんぞ気にするこたないよ。若いんだからがんがんワイルドに自由にやりたまえ」と無責任なアオリを加えるということに尽くされるのである。
焼き鳥と焼酎で機嫌がよくなったウチダはさっそく青年文士にむかってえらそうに説教をかます。
「小説はハッピーエンドじゃなきゃダメ」
「主人公の内面を描いてはダメ」
というのがウチダからのサジェッションである。
「内面のない少年」が「友情努力勝利」を経て「ハッピーエンド」に至るというようなおバカな話形に現代の純文学は絶対に手を出さない。
しかし、本来文学というのは、あらゆる文学ジャンルのなかでもっともワイルドで自由なものではなかったのか。
「現代の純文学がぜったいに手を出さない」ような話形がある以上、そこにお構いなしに踏み込むことこそ、文学的前衛の名にふさわしいふるまいとは言えまいか。
そもそもハッピーエンドというのは、「そのあとに悲劇的展開があることを」予見させるからこそ、味があるのであるし、自分の内面を語らない主人公の方が、なまじ「私にはひとにはいえない心の傷があった」みたいな底の浅い自己分析をする人間よりずっと深みがあるのである。
だから、内面のない主人公が、深い考えもなしに大暴れして、みんなハッピーになるという話がウチダは大好きなのである。(『坊っちゃん』とか『69』とかね)
日比くんの新作はそのようなものでなければならぬであろう。
健闘を祈る。
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