赤穂浪士討ち入りの日は、多田宏先生のお誕生日でもある。
先生は 1929 年生まれなので、74歳になられる(雑賀くんの言うとおり「地上最強の74歳」であろう)。
というわけで、多田塾研修会に東京まで日帰り旅行。
やはり月に一度は多田先生のお話を伺わないと調子が出ない。
ちょうど洋泉社の武道本のために多田先生の話をいろいろ書いたあとなので、「あんなこと書いちゃったけど、間違ってなかったかな・・・」と確認したいこともあって、多田先生のお話を一言一句聞き逃さないように拝聴する。
「乾いたスポンジが水を吸うように」という言い古された比喩のまま、先生のことばが身にしみ込んでくる。
「身にしみ込む」ほどに聞くためには、単に注意深く聞く、というだけでは足りない。
受け身で先生の話を伺っているだけではダメなのである。
多田先生は「こういう考え方をされているのではないか?」とい仮説をあらかじめ立てて、自説の検証・追試というかたちでお話を伺うのである。
これはたいへん集中力が高まる。
仮説を立て、検証し、仮説の不備を修正し、また検証し・・・というのは科学研究の基本であるが、武道の稽古だって少しも変わらないと私は思う。
私は最近ずっと「時間を細かく割る」というのが武道的な効果に結びつくという仮説について考えているところなのであるが、昨日は多田先生の口から、まさにその同じことばが出てきて一驚を喫した。
先生は「冴え」と言われた。
何百分の一秒という時間に身体をどう動かすかという精密な稽古をしないと技の「冴え」は出ない。
どれほど長い時間つらい稽古を重ねても、それだけでは技は「冴え」てこない。
強い動き、速い動きと「冴えた」動きは違う。
「相手が百分の一秒の間に動く動きを、こっちは一万分の一秒の尺度で見ているんだから、どんなに速くたって、遅いよ」
と多田先生はおっしゃられた。
問題は物理的な時間量のことではない。主観的な時間のことである。
主観的な時間というのは、「どれだけ持続したか」ではなく、「どれだけ細分化されたか」によって遅速の差が生じるものなのである。
多田先生はよく「ナノテクノロジー」の話と「細字法」の話をされる。
細字法というのは、米粒に千字書き、1センチ四方の紙に百人一首を全首書くという技術の話である。
最初のうちは、「へえ、そういうことができる人がいるんだ」と単なる「名人伝」のつもりで伺っていたが、繰り返し伺ううちに、どうやらそれが「ただのエピソード」ではなく、合気道の術理にかかわる本質的な教えを含んでいるということが、稽古をしているうちにだんだん分かってきた。
光岡先生は「身体を割る」ということを強調されていた。甲野先生も「身体を鰯の群のように使う」という比喩をよく用いられる。
そして多田先生が細字法の話をされる。
これは全部、身体を「速く強く」使う方法ではなく、身体を「微細に」使う方法にかかわっている。
micro vibration という言葉も昨日は使われていた(イタリア語だったのでちょっと聞き取れなかったが、たぶん「ミクロヴィブラチオーネ」と言われていたように記憶している)。
微振動を発振し、受振することのできる身体の使い方を稽古するために、気の感応のさまざまな稽古は体系化されているようである。
視覚は光の振動を感知し、聴覚は空気の振動を感知する、触覚は物体の振動を感知する。もとは一つである。
ならば、「耳で字を読む」とか「目で音を聴く」とかいうことだって、「そういうことって、あるかもしれない」。
先生は昨日も、ジョルジュ・オーサワのところで会った人が30日間の断食で「千里眼」を得たという話を聞いて、「じゃあ、俺も」と断食をされた学生時代の話を笑いながらして下さった。
「そういうことって、あるかもしれない」とにっこり笑う、というのが多田先生が「不思議な話」を聞いたときの基本姿勢である。
師匠の好尚は弟子もまた好尚とせねばならない。
というわけで、ウチダの座右の言葉は「そういうことって、あるかもしれない」なのである。
もう一つたいへん心に残った話。
「用のないところにゆかない」ということを先生はよく言われる。
どこかに立っていたら石が飛んできて、怪我をした。
もちろん悪いのは石を投げたやつである。
しかし、そのときに私たちはまず「なぜ自分はここにいたのか?」を問わなければならない。
他人のせいにするより先に、「自分はここにいる必然性があったのか?」を問わなければならない。
すると、たいていは、「そこにいる必然性がなかった」場合にしばしば人間はトラブルに巻き込まれるということが分かる。
私たちがトラブルに巻き込まれるというのは、ほんとうは「そこ」にゆかずに済んだのだが、ささやかな手落ちや行き違いや故障が重なって、なぜか「そこ」に居合わせたということが多い。
例えば、忘れ物を取りに行って、交通事故に遭ったという場合。
忘れ物を取りにゆくとき、当然ながら、私たちはふだんよりいらついているし、せかせかしているし、周囲に対する注意力も落ちている。そういうときは、歩いていて人に肩があたったり、階段で滑ったり、別の荷物を忘れたり・・・という「しなくてすんだトラブル」が磁石が砂鉄を集めるように、引き起こされてゆく。
おそらく、そんなふうにして、最悪のトラブルの場所に私たちはそれと知らずに引き寄せられてゆくのである。
そもそも忘れ物をしなければ、私たちは「そこ」にゆかずに済んだのだ。
そのことを考えなければならない。
「蒔かぬ種は生えない」というのは中村天風先生の教えである。
我が身に生じた不運は自らがその種を蒔いた収穫である。
そう考える人間だけが、「次の機会」には「撒種」を最小化するという工夫をすることができる。
忘れ物を取りに帰って交通事故にあった人は「次からは横断歩道で気を付けよう」ではなく、「次からは忘れ物をしないようにしよう」と考えるべきなのである。
「しなくてもよいことをするに至った最初のわずかなきっかけ」を反省する、というのが実はもっとも効果的な「撒種」最小化戦略なのである。メイビー。
「他罰的な人間」、つまりわが身に起きたトラブルを他人のせいにする人間は、「自分はどこでボタンをかけ違って、『そこ』にたどり着くことになったのか?」という問いを立てる習慣を持つことがない。
「誰のせいだ?」という問いを繰り返す人間は、そのあとも「種を蒔き続け」、そうやって「ゆかなくてもよかった場所で、ゆかなくてよかった時間に、会わなくてもよかった人間に」繰り返し出会うことになる。
wrong time, wrong place, wrong person
おそらく、それが「不運」ということの具体的なかたちである。
気の感応が増して行くと、渦が巻くように「必要なものが、必要なときに」集中する、ということを多田先生は言われた。
何かについて知りたいと先生が思うと、そのことについて詳しい情報を持っている人がその日のうちに何人も「偶然」集まってくるそうである。
これは不肖ウチダもわずかながら経験的に分かる。
そういうことって、確かにある。
そこで調子に乗って、うっかり「変なもの」に意識を集中すると、今度は「変なもの」ばかりがわらわらと押し寄せてくるそうである。
これはかなり怖い。
合気道の稽古をしていて、中途半端に感度が高まると、そういうネガティヴな境地に入ってしまうこともある。
だから、私たちはつねに師匠に就いて稽古しないといけないのである。
多田先生の今年最後のお話をたっぷりと伺い、久しぶりにちゃんと稽古をして大汗をかいた。
本部指導部の藤巻さんと昨日は何度も体術のお相手をして頂いた。
こういう現役ばりばりのプロにばっこんばっこん投げられるのは、ウチダは体力的にはもうきついのであるが、それでも実に愉しかった。四教できりきり締められたので、手首の痛みは翌日まで取れなかったけど、こういう「気持ちのよい痛み」はひさしぶりである。
多田先生をお見送りしてから、例によって「多田塾研修会のあとに生ビールを飲む会」に雪崩れ込む。
今回は珍しく工藤君が(カンボジアに行ってるんだって)不在であったが、稲門の宮内さん、気錬会の井上くん、Q田さん、内古閑のぶちゃん&かなぴょんご夫妻(かなぴょんとは土曜に芦屋で稽古して、日曜は新宿、と二人揃って東奔西走)、闇将カワサカくん、そして「池上先生の隣人」であるところの(よく会うねー)石井くんと、もうお一方(名前を聞き忘れてしまった、ごめんなさい)とくいくいと冷たいビールを飲んで、たいへんに愉快な日帰りツァーを締めたのでありました。
合気道はほんとに楽しい。
多田先生お誕生日おめでとうございます。ますますご健勝で、われわれを末永くご指導下さい。
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(2003-12-14 00:00)