12月3日

2003-12-03 mercredi

まだ身体の芯に微熱が残っているが、とりあえずお仕事に復帰。
まず来年度の3年生のゼミ生の決定。
ゼミは12名定員で、最大15名まで収容可というのが総文のルールである。
内田ゼミを第一志望としたのは15名。
せっかく第一志望にしてくれたのであるから、全員受け容れることにする。
みなさん、よろしくね。

読売新聞に『子どもは判ってくれない』の書評が出る。
穂村弘さんという歌人の方のご推挽である。
いちばん身にしみたのは次のフレーズ

「また著者の意見に対して心から納得がいかないとき、なんだかここは変だなとか、ちょっと違うのではないか、ということがすぐ思い浮かぶように、ステップを踏んで話を進めてゆく態度もフェアだと思う。」

私は「フェアネス」ということを人間の社会性のうちでもっとも重要な資質であると考えている。
個体の生存戦略に限って言えば「フェアであること」はしばしば不利に働くが、集団の生存戦略上、個体が「フェアであること」は死活的に重要である。
ウチダは決してすべての局面においてフェアな人間ではないが、公共的な場で発言するときは、なんとかフェアであろうと努力している。
本人の気質にもともと備わっていないものを発揮するわけであるから、けっこう苦しい。
その努力を穂村さんが認めてくれたことがウチダはうれしかったのである。

3年生のゼミは「スローフード」
80年代の北イタリアのピエモンテで始まった郷土料理と郷土の食材を大切にしよう、という運動がもとになっていることはご存じの方も多いであろう。
ヨーロッパへのマクドナルド・チェーンの出店に対して、これを「アメリカン・グローバリズムの世界制覇」の象徴とみなした人々が、激烈な出店反対闘争を展開して「世界のマクドナルド化」をめぐる議論が沸騰したことも記憶に新しい。
ファーストフードが「ジャンク」な食べ物であり、ゆっくりと家族とともに良質な食材のご飯を食べることが「よいこと」であること、これは疑いを容れない事実であるから、その点でスローフードの理念に反対する人はいないであろう。
しかし、それを額面通り受け取ってはゼミにならない。
北イタリアからこの運動が始まったということに何か意味はないのか、ウチダはそんなふうに考える。
ご存じのとおり、イタリアは南北の経済格差が激しく、北部では南部を切り離して北イタリアだけで政治的独立をしようとする北部同盟の政治的な動きが存在している。
この動きとスローフード運動が同じ時期に同じ地域で発生したということは、無関係ではないだろう。
郷土の良質な土壌で育った良質の食材を、伝統的な調理法で料理し、家族集って会食するというのは、まさに「レジオナリスム」(地方分権主義)の象徴的なみぶりだからである。
スローフード運動の基本にあるのは「食べ物によって人間の身体や気質は影響を受ける」という考え方である。
「同じものを食べている人々はどんどん心身の均質性が高くなり、そうでないものを食べている人との外形的・内面的な差異がどんどん際だってくる」
ということであれば、「郷土料理を食べる運動」が地方分権独立運動となじみがよいのは当然である。
おそらくこの二つの運動のサポーターはかなりのパーセンテージで「かぶっている」とウチダは推察するのである。
加えて北イタリアはベニト・ムッソリーニの拠点だったところである。
スローフード運動が目の敵にしたのが「アメリカ的食生活」であることを考えると、そこに「何の関係もない」と言い切るのはなかなか困難であろうと私は思う。
ご存じの方は少ないかもしれないが、20年代のドイツ・ファシズムは「ドイツの土壌で育った清浄で良質な食べ物を食べよう」という「自然食運動」と「不浄な都会を離れて、自然の中でドイツ人としてのアイデンティティを取り返そう」という「ワンダーフォーゲル運動」を抱え込むかたちで国民的な支持を延ばしていった。
私は別に、自然食を好む方や山登りが好きな方を「ファシスト」であると申し上げているのではない(ウチダも良質の食材と自然を好むことでは人後に落ちない)。
ただ、そのような好尚をメディアを通じて声高にアナウンスし、運動を組織したり、協会を作ったり・・・ということに拡げると、「そういうこと」になじみのよい政治的なムーブメントと癒合する可能性があるという事実を「歴史は教えている」ということを申し述べているだけである。

ファーストフードを食べる人々は栄養が偏り、健康を損ね、衝動的になり、短命であるという統計結果がアメリカで出ているそうである。
しかし、「ファーストフードを食べる人々」のかなりの部分は「ファーストフードしか食べられない人々」であることを忘れては困る。
「ファーストフードしか食べられない人々」とは、「低所得層」であるか「手作りの家庭料理を食べられるような環境がないか」その両方か、いずれにせよ、「社会的にハンディを負った階層」である。
その方々が不健康で、衝動的で、短命であるのはファーストフードのせいなのか「ファーストフードしか食べられない社会的条件を生きている」のせいなのか、そのあたりは一律には論じがたいであろうとウチダは思う。
それを配慮しないで「ファーストフードを食べる人々」を批判の対象にする、ということは科学的な装いをまとってはいるが「金持ちがビンボー人を批判の対象としている」ということにはならないのであろうか。
そのあたりのことをファーストフード批判者の方々にはぜひご配慮願いたいとウチダは思う。

大学院のゼミは「日米同盟と安全保障問題」
自衛隊のイラク派兵が迫る中で、現地では外務省の現地スタッフ二名が殺害されるという事件が起きた。
はたして派兵はどういう条件が整えばなされ、どういう条件で撤退するのか。
日本国内でテロはありうるのか。
北朝鮮は日本を武装侵攻する可能性はあるか。
などという生々しい論件についてディスカッション。
もちろん、教室でウチダが語ったことをこんな場所で公開した日には「怒りの声」が関係各方面から殺到することは避けがたいので、内容については秘密なのだ。

ウチダが教室でどれほどの暴論を語るか知りたい人は聴講申し込みをして下さい(年間35000円です)。
でも朝日カルチャーセンターの講演が一回3000円だから、年間25回で35000円というのは、単価的にはずいぶん「お買い得」なんだ。
年が明けたら来年度の大学院聴講生申し込みが始まりますので、興味のある方は大学入試課までお問い合わせ下さい。

0798-51-8543
です。
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