11月26日

2003-11-26 mercredi

オフだけれど仕事は山のよう。
急ぎのものから片づける。
まずは『ミーツ』のフリーター論。締め切りまでまだ一日あるけれど、江さんが「はやく見せて」というので、とりあえず送稿。
洋泉社の武道ムック用の原稿の書き直し。
さくさくと30枚書き直す(はやいなー)
ゼミのエッセイを読んで、赤ペンで感想を書き込む。
ものによっては、ネコマンガを書き加える。
どういう基準によって、ネコ入り感想とネコなしの感想が分岐されるのか、描いているウチダ本人にはよく分からない。
書き手とのあいだに、ある種の「共犯感覚」が生じたときに思わずネコマンガを描いてしまうのかも知れない。
だとすると、ネコマンガは「書き手と私の双方に共有された動物的間主観的境位」の記号だということになる。
なるほど。
「動物的間主観性」というのが、なかなかよろしい。

金曜日に「特色ある大学教育支援プログラム」(いわゆるCOL)の不採択反省会というものが開催される。
ウチダは文部科学省提出書類の最終文案を起案した責任者であるから、「なぜ不採択になったのか」について学長はじめとするみなさまにご説明するアカウンタビリティというものを負っている。
というわけで、採択された80校の申請書類抄録とそれに付された審査委員会からのコメントを熟読玩味すること3時間。
大学基準協会がいかなる大学教育を「望ましいもの」とみなしているのかの基本的な趨勢は知れた。
この機会に私と同じような「作文屋」という割に合わない仕事をおおせつかっている全国1200大学短大の同業のみなさまのために、ウチダの総括をご報告したいと思う(そっちで分かったことがあったら教えてくださいね)
で、結論。
大学基準協会の「期待される大学像」とは次のような条件を備えたものである。

(1)地域社会における教育文化活動の拠点であり、かつ地域の行政や企業とも密接な連携を保持していること
(2)実用性の高い技能職者の育成に教育リソースを集中していること
(3)教育活動を学部学科単位ではなく、学部横断的な「センター」が直轄していること
(4)学生との双方向的なコミュニケーションの回路が確保されており、教員が「市場からの評価」に対して即応する体制が整備されていること
(5)大学のポリシーとシステムを一言で言い表すオリジナルでキャッチーなコピーを有すること

などである。
そのような大学だけが「生き残れる」であろう、と大学基準協会は「予言」しているわけである。
ただし、この予言は文部科学省の補助金配分ともリンクしているので、かなり遂行性の高い「予言」でもある。

たいへんに残念なことであるが、本学はこの五つの点すべてにおいて、他校に模倣されるべき「モデル」となるほどの成果を挙げていない。
以上の基準を是とするならば、不採択はいたしかたのない結論であると言えよう。

しかし、この査定にウチダはいささか不服である。
いいたかなけいど、採択事例のなかには「ど、どうして、こんなおバカなプロジェクトが・・・」というものが散見されたからである。
また一部にまじめに起案する気がないまま書かれたのに、どういうわけか採択されてしまったとおぼしき事案もある。
おそらく21世紀COEに採択されてばっちり予算もついたことだし、「教養教育なんか、ま、ウチはどーでもいいわけよ」という雰囲気が一部の(旧帝大系)国立大学では支配的なのであろう。

たしかに「ユビキタス環境の整備」とか「デジタルアジア連携」とか「競創的創造性育成科目」とか「アカデミックインターンシップとキャリアデザイニンターンシップの融合」とかいうような「かっこいい」プロジェクトに比べると、本学の「少人数教育」への取り組みは、あまりに「オーディナリー」であることは認めよう。
しかし、しかし、教育というのは、そんなにケレン味たっぷりのものなんじゃないとまずいんだろうか。
教師と学生が顔をつきあわせて、ぼそぼそと「んだからさー」と対話を続けるんじゃ、ダメなの?
個々の教師がそれぞれに工夫を凝らし、身銭を切って教育方法を開発する、というんじゃ、ダメなの?

ま、ダメなんだろうな。
今回のCOL関連のセミナーや説明会に出席して、私が骨身にしみたのは、文部科学省が大学教員の個々人の自発的努力というものを、もうほとんど信用していないという事実である。
そういう高等教育に対する全社会的な「不信感」が、これらの拠点校つくりや「オリジナル」な制度改革を動機づけている。
しかし、そのような根深い不信感をこのようなコンペで払拭できるのであろうか。
私は懐疑的である。
最終的に教育の質を担保するのは、教員ひとりひとりの「使命感」である。
使命感は制度的につくりあげることのできないものだ。
「大学はこのままじゃまずいよね。とりあえずオレひとりでもなんとかしなきゃ・・」と思う個別の主体的な決意が集積してはじめて制度は生きるものだ。
このコンペがそのような個々の教員の動機づけを励起するものになるのか、どうか。
私にはまだよく分からない。
しかし、それがとりあえず与えられた課題である以上、その課題をどのように本学の教育改革についての前向きの議論に結びつけるか、というふうに肯定的に問題を立てる他にない、とウチダは思う。
皮肉屋になってもはじまらない。
というわけで、愚痴はここまで。

ゼミ面接最終日。
トータル73名が面接にお越し頂いた。
受け容れ上限は15名である。
ウチダとしては希望者全員を取りたいのであるが、そうもゆかない。
うう、つらいところだぜ。

合気道のお稽古に中学部の3年生が大挙7名参加。
いったいどうしちゃったのかしらと思ったら、中高のクラブ活動が試験前で「おやすみ」になったので、遊びに来たのである。
この春に礼拝の時間に中高の生徒さんたちの前で、光岡先生の站椿功の話をして、「身体を割る」ことの重要性を説いたのであるが、それから半年して、ようやく「蒔いた種から芽が出た」らしい。
甲野先生がNHKのスタジオパークや昨日角さんのTV番組に出たこともきっと影響しているのだろう(甲野先生ありがとうございます!)。
10代の少女たちが「武道をやりたい」と思うようになったというのは、ともあれ、たいへんに結構なことである。
女学院の中高の生徒さんたちは、ある意味でたいへんに「トレンド感覚」にすぐれたみなさんであるからして、これはあるいは巨大な地殻変動の予兆なのかもしれない。
だとすると、そのうち「たいへんなこと」になりそうである。
わくわくするね。

さて、明日は教授会と反省会。週末は東京で池上六朗先生との「対談」である。
わくわくするね。
だいぶ疲れてきたので、池上先生と三宅先生にたっぷり治療して頂かなきゃ。