11月23日

2003-11-23 dimanche

ひさしぶりの合気道のお稽古。
いろいろ刺激的な出会いがあった後なので、新しい稽古プログラムをいくつか思いつき、さっそくみなさんを実験台にしてみる。
ふむふむ、なるほど。

夜は「死のロード」の無事終結を祝って、ご近所におすまいのドクターとイワモトくんをお招きして、会食。
ドクターの家のわきのベトナム料理を試みるはずだったのだが、混んでいたので、うちの近所のジャポネスク系レストランを探訪する。
これが「当たり」で、「ぶりかま」が絶品。
ボージョレヌーボーをぐいぐいのみながら、みんなで魚をせせる。
反応のたいへんよい聴き手が二人もそろっているので、ウチダの無駄話も奇をきわめてとどまるところを知らない。
ドクターの文才を称え、イワモトくんに「治療者になること」を厳命し、ワイン三本空にして本日の宴会はおしまい。

日曜は朝から『ミーツ』の原稿「フリーター論」を書く。
参考文献が何かないかなと思っていたら、ちょうど朝日の書評に山田久『賃金デフレ』(ちくま新書)という本が紹介してあったので、早速ジュンク堂でゲット。
ウチダは実はこの手のビジネス書を読むのがけっこう好きである。
「消費性向の上昇が賃金デフレのマイナスを相殺してくれる間に、いかにして産業構造転換を加速し経済活性化の道筋をつけるかが、日本経済にとっての最優先課題といえよう」というような味も素っ気もない文章を読むと、どきどきしてきちゃうのである。
すいすいと217頁を読み終えて、経営や労働問題にまったくのシロートである私の「ま、世の中えてしてそういうものだわな」的考えが、専門家である山田さんが無数のデータから引き出して力説する主張とほとんど同じであることに一驚を喫する。
私が大学の将来構想に際してこの三年ほど提唱してきているのは、「市場のシュリンクに連動するダウンサイジング」と「ニーズの変化に即応できる流動性の高い組織つくり」と「多様なキャリア・職能の持ち主を多様な条件で受け入れる雇用システム」と「穏やかな成果主義の導入によるインセンティヴの励起」といったものであったが、これって山田さんが「日本再生」の秘策として結論しているものとほとんどどこも変わらない(ただ一つの相違は、山田さんが「男女分業型家族モデルの崩壊=『男女共働社会』への移行」を積極的に押し進めるべきだと論じている点である。私の意見はご存じのとおり、それと少し違う)。
ウチダの「シロート考え」が専門家の苦肉の結論と同じであるということは「ま、世の中えてしてそういうもんだわな」的思考法がかなり有効であることを立証している。
というわけで、すっかり気をよくして、なぜメディアや行政は今になって「フリーターをやめて、定職につきなさい」キャンペーンを開始したのかについて、「だわな」的議論をすらすらと書く。
シロートであるウチダが見ても、この変貌の理由は一つしかない。
それは「ビンボーなフリーターは再生産しない」ことに人々が気づいたからである。
スキルもキャリアも年金もないまま孤独な老年を迎えるであろう数十年後のフリーターの身の上を行政が心配しはじめたのは、もちろん「孤独死なんて、かわいそう」というような温情にもとづいてではない。
貧窮のうちに孤独死する老年フリーターの五万や十万いたって、そんなことで涙をこぼす官僚なんて一人もいない。
彼らが青ざめ始めたのは、「孤独死するフリーター2000万人」というような統計的予測がなんとなく望見されてきたからである。
彼らの死を弔う「喪主」はそのときどこにもいない。
そう、「ビンボーなフリーター」たちは生涯を独身で終えるのである。
「そして、誰もいなくなった」状態へ向けて日本はダウンサイジングの急坂を転げ落ちてゆくのである。
おお、テリブル。
というわけで政府はなんとこの六月になってようやく重い腰を上げて、深刻化するフリーター問題に対処すべく「若者自立・挑戦戦略会議」(!)なる検討機関を立ち上げたのである。
「若者たちを子づくりに挑戦させるための戦略」を練ろうというわけである。
ま、気持ちはわかるけど、行政の方々もできたらネーミングにもう少しご配慮願えないものであろうか、というような話を書く。
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