11月22日

2003-11-22 samedi

19日から「死のロード」が始まる。
初日は葺合高校で模擬授業90分。
聴衆は高校二年生30人。
彼らに高等教育の危機的状況、教養の崩壊、身体感受性の低下といった「こわい話」をする。
当今の高校生というものは教卓のこちら側にいる人間に向かってあまり表情豊かなリアクションをしてくれないものであるから、果たして私の話を面白がっているのか、退屈しているのか、なかなか判定できない。
しかし、ご紹介下さった先生のお話しでは現代国語の教材として、私の本からの抜粋をいくつかご利用下さったということであるから、このみなさんは私の「読者」なのではある。ウチダがどのような暴論を語る人間が熟知の上で、10校から大学教員が同じ時間帯にきている中で、私の模擬授業をご選択下さったわけであるから、決して興味がおありにならない、ということはないのであろう。
控え室まで送り迎えをしてくれた生徒代表のA光くんは、私の本を何冊か読んでおり、レヴィナスについても興味がある、ということを話してくれた。
「ぼくの話、面白かったかなあ」
となんとなく心細くてたずねたら、力一杯うなずいて
「すごく面白かったです!」
と言ってくれた(いい奴である)。
「ぼくも哲学やりたくなりました」
おお、そうですか。
「教養主義の崩壊」のなかにあって、最終戦線を死守すべく駆り出された「猫の手も借りたいときの猫の手」であるところの「教養なき教養主義者」ウチダも、かくのごとく教養主義のために一臂の力をお貸ししているわけである。

続いて、朝日カルチャーセンターの講演シリーズ第二弾「ひとはどうして知らないことについて判断できるのか?」
これは実は『レヴィナスとラカン』という本の第一章の主題なのである。
『鞍馬天狗』、『セミネール』『全体性と無限』『CATCH ME IF YOU CAN』などさまざまな素材を活用して、「詐欺師」と「賢者」をひとはどうやって見分けているのか、というたいへんに実践的な問題についてお話する。

名越先生が見えたので、さっそく講演前からわいわいとおしゃべりをする。
いよいよ名越先生との対談本『14歳の子どもを持つ親のために』(仮題ね)の制作が日程にのぼってきたのである。
まずは「少年 A」の分析からはじめることになりそうである。
カウンセリングに当たった精神科医をひとり「つぶした」と言われる酒鬼薔薇くんの邪悪にして精緻なる物語世界を「邪悪なもの」の専門家である二人で解明しようというのである。
けっこう怖い企画ではあるが、思春期の問題行動を単に「親が悪い」「学校が悪い」「社会が悪い」で済ませているシンプルな精神には、世の中には「それ自体邪悪なもの」が存在するということがなかなかご理解頂けない。
しかし、「そういうもの」(レクター博士とか銀河帝国の皇帝みたいなピュアな邪悪さ)はまぎれもなく存在するのであり、私たちが武道や哲学を通じて構築しようとしているのはなによりも「そういうもの」に対する防衛ラインなのである(それから身を守り、そのようなものにおのれ自身が魅了されてしまうことから身を守り、かつそのようなものにおのれ自身がなってしまうことから身を守り)。

21日は龍谷大学瀬田キャンパスで社会学部学会主催のシンポジウム「身体の歌を聴こう」。
シンポジウムのお相手は甲野善紀先生、舞踏家の岩下徹さん、司会は去年「レヴィナスとラカン」の講演をプロデュースしてくださった龍谷大学の亀山佳明先生。
ほかのみなさんは互いに全員初対面であるが、ウチダは全員と顔見知り。だから、一人だけお気楽である。
小雨のけぶる瀬田キャンパスに白石さん守さんら旧知の松聲館門人のみなさんも登場(守さん、うどんと懐中時計のプレゼントありがとうございました)、客席には飯田先生やウッキーやドクターや岩本くんや赤星くんや「いつものみなさん」が揃う。
そうは言っても、「いつものみなさん」を相手にして、「いつもの話」をするのも曲がないので、必死になって「いつもと違う話」を絞り出さねばならない。
4時間以上にわたるマラソン・シンポジウムであったが、亀山先生のツボを抑えた手綱さばきと、岩下さんのダンス、甲野先生の「平蜘蛛」の妙技など、あっと驚くパフォーマンスのおかげで、たちまちおわってしまう。
そのあとの懇親会も次々と愉しい人々が登場して、まことに「濃い」一日ではありました。
龍谷大学のみなさん、楽しいイベントを企画して下さって、ほんとうにありがとうございました。
さすがに、一日甲野先生と岩下さんと過ごすと、その圧倒的な存在感に対応すべく、こちらも相当に気を張っていたらしく、帰り道のJR車中ではがばっと寝込んでしまう。這うようにして家にたどり着き、午後10時就寝。
死んだように10時間眠る。

21日は死のロード3日目。
まずは学士会館ロビーで『いきいき』誌の編集者にインタビューを受ける。
『いきいき』というのは、50代以上の女性読者のための「生き方」誌で、店頭販売していないのに実売23万部という不思議なメディアである。
かの日野原先生の爆発的ベストセラー『生き方上手』はこの雑誌から「火がついた」と言われており、『いきいき』の読者をゲットするとミリオンセラーに手が掛かるんですよウチダせんせー、というカドカワのヤマちゃんの懇請を受けてのインタビューである。
たしかに50代以上の女性層というのは、教養主義にとって「未知の鉱脈」である。
現在は、その日野原先生ほか瀬戸内先生、五木先生らが「出せばミリオン」的な市場寡占状態にある。だから、ヤマちゃん的にはウチダ本を「第二の『大河の一滴』」にと夢(夢だよ、ヤマちゃん)をふくらませているのである。
しかし、他人のものとはいえ夢はたいせつにしたいものであるので、にこにことインタビューにお答えする。
インタビューを1時間受けた(というよりは「小噺」を七つほどつないだ)あと、山本くんとタクシーで銀座へ。
銀座資生堂で鈴木晶さんとの対談である。
これはふたりでひさしぶりにわいわいおしゃべりをしているところを、聴衆のみなさまに「立ち聞き」(座り聞きだな)していただくというたいへんにカジュアルなイベントである(というふうに私は勝手に理解していたのであるが、資生堂サイドのもくろみはもっと教化的なものであったらしいということを事後的に知るも It's too late )。
控え室ではじめて鈴木先生のご令室の灰島かりさんにお目にかかる。
先生の日記を読んでいると、財政方面ならびにキッチン方面で専制的な家庭内支配を貫徹されている鉄血の独裁者のように描いてあるけれど、現実の灰島さんは「可憐」で「清楚」な文学少女が幸福に成熟したという感じの方である。
ウチダはもう大人であるので、この種の複数の証言の『藪の中』的な落差については、「ふふふ、世の中えてしてそういうもんだよね」と静かに受け流して、「真相を究明」というようないたずらな好奇心を抱いたりはしないのである。
灰島さんからはポール・ギャリコの『猫語の教科書』(ちくま文庫)の訳書をいただく。大島弓子のネコマンガ解説つき豪華版。どうもありがとうございました。

対談は鈴木先生ご用意の「よさこいソーラン」のビデオから始まる。
先日のポルトガルでの国際舞踊学会での発表をふまえて、「コピーのコピー」であるところのヴァーチャルな「ローカルな舞踏祭」がなぜいま遼原の火のごとく全国に燃え広がっているのか、鈴木先生から問題提起をしていただき、それをウチダがまぜっかえして『キル・ビル』論にひきずりこみ、以下議論は七転八倒話頭は転々奇を極めてよく要約することがかなわないのである。
2時間余の爆笑対談ののち、控え室で軽食。
軽食といっても資生堂パーラーからの仕出しのフレンチにボージョレヌーボー飲み放題というゴージャスさである。
ヤマちゃん晶文社の安藤さんなど旧知の編集者やお客さまたちも立ち混じっての宴会となり、お酒が入って鈴木先生も私もさらに舌がなめらかとなる。
「どうしてそういう面白い話をさっきしてくれなかったんですか」と資生堂のスタッフたちはうらめしげな顔をしていたけれど、世の中えてしてそういうものである。
大枚のギャラと資生堂グッズのおみやげをいただいて帰途に就く。

次は鎌倉の鈴木先生のお宅を高橋源一郎さんと急襲して(灰島さんは朝「ゴミ出し」のときによく高橋さんとご挨拶するそうである。ずいぶんお近いんですね)、シャンペンを飲み倒す計画を実行に移さなければならない。
これには高橋さんのご令嬢(先日『BRUTUS』の書評欄で『子どもは判ってくれない』を取り上げてくださった)橋本麻里さんもつとに参加の意思を表明している。
そういえば、講談社から高橋さんの『ジョン・レノン対火星人』文庫版の解説を頼まれたので、これも宴会をひらく口実になりそうである。
大島弓子先生のひそみにならって、一瞬「マンガで解説を書く」という手を考えるが、ウチダは人物画は右向きの横顔しか描けないので、それはかなわぬことなのである。

22日、死のロード最終日は東京から芦屋までの移動日。
お昼からの合気道のお稽古にゆかなければならないので、6時20分に起きて、東京駅までタクシーを飛ばす。なんだか週末にしてはずいぶん朝から人出があるなあと思っていたら、新幹線の指定席は6時55分時点で11時まで売り切れ。今日が三連休の初日であることを忘れていた。
先日の北新地も昨日の銀座もずいぶん賑わっていたし、今朝の東京駅は旅行客の山である。日本の不況もどうやら底を打ったようである。
新聞を拡げると、少年への性的虐待容疑でマイケル・ジャクソンが昨日逮捕(すぐに300万ドル積んで保釈)されたのに続いて、今日はフィル・スペクターがなんと殺人容疑で逮捕されていた。
マイケルのネバーランド幻想が相当に「病んでいる」ことは分かるけれど、あの脳天気なスペクターサウンドの底にかかる人間的暗部がひそんでいるとは・・・ロケンロールはまことに奥が深いのである。
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