11月10日

2003-11-10 lundi

「いいニュースと悪いニュースがある。どちらを先に聞きたい?」
というのはハリウッド映画で、悪い奴が捕まった主人公に脅しをかけるときの常套句だ。
「先に悪いニュースから」
というのもお決まりだ。
「おまえの家族はみんな死んでしまったよ(笑)。でも、いいニュースもある。すぐに家族に会える(爆笑)。」
なんてね。

まず「いいニュース」から。
2004年度の入試シーズンが始まったが、私の属する文学部総合文化学科はこれまでのAO、指定校推薦、公募制推薦の三つの入試で、いずれも20-30%近く前年度を上回る数の志願者を確保した。
今年度は18歳人口が前年度比で5%減なので、実数5%減でも「昨年並」なのであるから、純増というのは「大健闘」である。
総合文化学科というのは、要するに「あまり専門的な領域に特化しないで、いろいろなことをバランスよく学ぶリベラルアーツ学科」である。
「広く浅く」という難点もあるが、それは同時に「あらゆる領域に通じる汎用性の高い知的技法が習得できる」ということでもある。
まあ、いいとことわるいとこは背中合わせであるから、「どっちも」というわけにはゆかない。
ただ、21世紀日本という先の見えない時代においては、「現在ただいま市場で需要のある専門的な情報やスキル」を身につけるよりは、「いつ需要が発生するか分からないけれども、汎用性の高い知的なマナー」を身につけておくほうが、結果的にはクレバーな選択になるのではないかとウチダは思っている。
そういう「ファジーな」(これも死語だな、そろそろ)総合文化学科への志願者が増えているというのは、民主党への支持率の上昇ともシンクロするところの「別に何が、というのではない、あいまいな(失望を織り込み済みの)期待感」という現在の「時代的気分」とも同調することかもしれない。
しかし、「失望を織り込み済みの期待感」というのは、われながら言い得て妙だな。
ちゃんと五・七・五になってるし。
「あなたの、失望を織り込み済みの期待感にお応えする、総合文化学科!」
というのではコピーに・・・、ならないですよね。

いろいろなメディアから取材依頼が来る。
『子どもは判ってくれない』(洋泉社)の書評がぼちぼち出始めたので、それに関連しての取材である。
「世間にバカ面を知られたくないので、顔写真撮影はダメ」という条件を付けているので、そう申し上げると、「じゃあ、いいです」とふて腐れて断るメディアもある。
そういえば先日の『助産雑誌』のインタビューではうっかり顔写真を撮られてしまったな。
でも、『助産雑誌』に写真が載っても、それによって私の顔を知った人と私が接点を持つ機会は病院の産婦人科と助産院以外にはないので、これはノープロブレムなのである。
それにしても、どうして、紙媒体はあのように顔写真掲載に固執するのであろうか。
変な顔写真より、私が渾身で描くところのネコマンガの方が、ずっと私の社会的態度を雄弁に語っていると思うのであるが・・・(その点では顔写真に代えて、ネコマンガを掲載してくださった『BRIO』の決断は高く評価されてしかるべきであろう)。

大学院のゼミでは『ミーツ』の江編集長の「家族と消費」論が熱く展開される。
江さんのアイディアに触発されていろいろと思うことがあったので、この論件についての私の意見は『東京ファイティングキッズ』に書くことにする。

この大学院の演習はそれにしても実に面白い。
私のこの半年ほどの「新ネタ」はほとんどこの教室で仕込んだものであると言って過言でない。
思う存分お話しをさせていただき、それでお給料をいただき、その上、聴講のみなさまからのご教示で、本のネタまで頂戴できるのである。
来年のこの授業は「パックス・アメリカーナの終焉」という主題で一年間、アメリカの歴史、政治、文化を徹底的に検証し、21世紀の日米関係を展望する、という暴挙を試みるが、そこで仕込んだ豆知識をネタに本を一冊書いて、それをNTT出版から出してしまおうというとんでもないワルだくみなのである。
ぐふふふ。
お知恵を拝借した院生学生聴講生諸君には「打ち上げ」のときのビールを奢るから、ひとつそれでご勘弁を。

「悪いニュース」は特にありませんでした。ちゃん、ちゃん。
--------