11月7日

2003-11-07 vendredi

週末東京なので、不在者投票をすませておく。
私のいる芦屋の選挙区は土井たか子の地盤であり、小選挙区では久しく不敗を誇っている。
もういいかげん社民党でもないだろうとは思うのだが、それに代わる候補者がいない。
自民党か社民党か共産党かで改めて投票所で鉛筆をひねくりまわしながら思い迷う、というのはまことに「不毛の選択」である。
投票率が下がるのもむべなるかな。
もう少しいろいろな人が立候補してくれないものだろうか。
比例区は「政権交代の可能性」に一票を投じる。

急ぎの原稿というのがとりあえずないので、ひさしぶりにレヴィナスの『困難な自由』の翻訳を取り出す。
まだ220頁のところで停滞したままである。残り180頁。
「犬の名あるいは自然権」という題名のエッセイを訳す。
私の抄訳本には未掲載のものであるが、誰かが雑誌に翻訳を出したことがあるはずである。
レヴィナスがドイツの捕虜収容所にいたときのことを書いたレアなドキュメントである。
レヴィナスの思考は深く美しい。

内村鑑三について書いたものを読んだら、急に『ユダヤ文化論』(文春新書から出る予定)の「日猶同祖論」のところに書きたいことが思いついたので、さらさらと書き加える。
明治から大正にかけて日本のユダヤ研究を不思議な方向にひっぱっていった妄想的な日猶同祖論者たちはいずれも「キリスト者」で「アメリカ留学経験者」であった。
どうして、キリスト者がアメリカに留学すると、「日本人とユダヤ人は同じ世界史的使命を体している」という幻想に取り憑かれてしまうのか、その理由がなかなかわからなかったのだが、内村鑑三のことを調べたら、なんだか腑に落ちたのである。
どうやら、ペリー以来、日本人の「国際関係理解」は徹頭徹尾「アメリカ」という国に対する親和と反発というフレームワークの中でなされてきたようであり、おそらくは私自身の国際関係理解もまたその例に漏れないのである。
そのアメリカからもうすぐ帰ってくる川仁さんが長文のアメリカ文化論を書き送ってくれた。
ヘビーな内容なので、コメントはじっくり読んでから。

アマゾンからナンシー・シナトラのベスト盤が届く。
竹内まりあと大滝詠一のデュエット Something stupid を聴いているうちに、ナンシー・シナトラが聴きたくなってしまったのである。
These boots are made for walkin' , You only live twice, Sugar Town, Summer Wine などなつかしい曲がぎっしり。
外盤なのでライナーが入っていないので邦題を思い出せない。
「007は二度死ぬ」と「サマー・ワイン」は覚えているけれど、「シュガー・タウン」は何だっけ?「恋のシュガー・タウン」だったかな?「シュガー・タウンは恋の街」だったかな?
1967年夏に唐十郎の状況劇場が新宿花園神社の赤テントで演じた『腰巻きお仙』の中で大久保鷹が歌っていたなあ・・・(話が古い)
These boots are made for walkin' の邦題は何だっけ?
石川くん覚えてる?
アマゾンのおかげで、こうしてウチダの音楽的退行現象はますます加速してゆく。
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