11月4日

2003-11-04 mardi

イラクでの大規模戦闘終結宣言以後も小規模の戦闘が続き、国連現地本部や赤十字社までも爆弾テロの標的となっている中で、2日に米軍の大型輸送ヘリが地対空ミサイルに撃墜されて、米兵36人が死傷するという事件が起きた。
9月7日にはラムズフェルド国防長官がバクダッド国際空港を離陸した直後にミサイル攻撃がなされている。
厳戒態勢下にあってもゲリラの地対空ミサイルに対して、正規軍は打つ手がない現状のようである。
米軍は今回のイラク侵攻に際してまっさきに制空権を取り、バクダッドにご自慢の「ピンポイント爆撃」を加えた。
「制空権」とは誤解を招きやすい語である。
今回の一連の戦闘で、それが「空から攻撃する権利の占有」を意味しているだけで、「安全に航空する権利」を意味しないことが分かった。
その空域に政府はC130輸送機を派遣する予定である。
輸送機の航空高度はヘリより高いとかミサイル回避装置を装備しているし、「戦闘地域は飛ばない」と政府は弁明しているが、どんな輸送機だって空港に離着陸するときは高度を下げるし、旧イラク軍はまだ残存地対空ミサイル、ロシア製のSA7を1000基を保有するといわれている。
この中で派兵に踏み切るということは、政府は自衛隊員には「死んでもらう」という覚悟を決めているということである。
湾岸戦争のときに「血の貢献」をしなかったために「国際社会」(って要するにアメリカのことだけど)に侮られたというのがよほどトラウマになっているらしく、今回は多少は死んでもらわないと「かっこがつかない」というのが政府の本音であろう。
しかし、死者数が問題だ。
一人二人なら、それで反テロリストの愛国的排外的世論が沸騰して、政府に対する支持が高騰するということは大いにありうる。
しかし、二十人、三十人ということになると、そうはゆくまい。
アメリカには「ソマリア」の苦い経験がある。
このとき国連平和維持軍の先兵としてアメリカ海兵隊が上陸したが、ソマリアの内戦に巻き込まれ、結局死者30人を出して撤退することになった。これ以後、アメリカは「人道的介入」に際して、死者ゼロにするという原則に縛られることになった。それが地上戦に入る前に空爆で敵戦力を殲滅させる、というユーゴ、湾岸、アフガニスタン、イラクで採用された戦術であることはみなさまご案内の通りである。(しかし、ほんとによく戦争する国だよな)
当然、自衛官に30人もの死者が出れば、当然日本社会でも「ソマリア・シンドローム」が起こることが予想される。
死者の映像がもし日本のメディアで報道されると、それは1945年以来日本人がはじめて見る「戦死者」である。
その衝撃を予測するのはむずかしいが、おそらく、「人道的介入であろうと、国連平和維持活動であろうと、もう日本人の青年が死ぬのは見たくない!」という情緒的な厭戦機運が沸騰することになるだろう。
つまり、たいへんに皮肉なことであるが、イラクへの派兵に際して、今後、日本が「ふつうの国」になって自衛隊を米軍の同盟軍としてじゃんじゃん海外派兵させたがっている人は「自衛隊員が(愛国的機運が高まる程度に)死ぬこと」から利益を引き出し、アメリカの世界戦略への追随を嫌う人々は「自衛隊員が(厭戦気分が高まる程度に)死ぬこと」から利益を引き出すことができるのである。
つまり、いまの政治的決定プロセスとメディアを占有している人々は(無意識的に)自衛隊員が「死ぬ」ことを望んでいるのである。
違いは、「適正な死者数」をどの程度に設定するか、という計量的な問題だけである。
こういう人たちに送り出されて戦地にゆく自衛隊員はまことに切ないであろう。
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