学祭初日。
ふつうの週日なので、演武会のお客さんは身内ばかり。
というわけで、ふだんの稽古みたいな感じで、気楽にやらせていただく。
みんな、なかなかよい出来である。
とくに一年生がたいへんによろしい。
「色物」担当の四年生も、どうやら「一夜漬け」でだいぶ勉強をしてきたようである。感心感心。
明日は本番、がんばりましょう。
長井さん(旧姓谷口なをさん)がご令息をともなって遊びにくる。
母親によく似た美少年である。
さっそく畳の上で合気道のてほどきをする。
ウッキーを二度呼吸投げで宙に浮かせると、たいへんご機嫌がよろしくなった。
合気道愉しいでしょ? 四つになったら、芦屋のかなぴょんの道場に通うんだぜ。
朝から稽古と演武でけっこう気分よく汗をかいたあと、夕方から「財務説明会」。
学院の会計をみている監査法人から公認会計士を呼んで、「学校会計の特殊性」についてレクチャーをしてもらう、という趣旨の集まりである。
なぜ、このようなレクチャーが行われるかというと、要するに、「大学生き残りの戦略」についての私どもがさまざまな提言をするのを、どうやら経営サイドは「基本金」とか「減価償却」とかいう言葉の意味を私たちが「知らない」せいだとお考えだったからのようである。
だから、「大学の会計は企業の会計とは違うのだよ」「有価証券とかはね、時価でカウントしないんだよ」「減価償却が50%を越したということは、校舎がボロボロで緊急に立て替えが必要だってことなのね」というようなことを噛んで含めるようにご説明いただく。
なんと、先方は私たちが財務内容をまるで知らないということを前提にして、これまで交渉に臨まれていたのである。
ならば、私たちの言い分に十分に耳を貸していただけなかったのは、まことに理にかなったことである。
私たちが前提にしているのは、18歳人口が205万人から120万人にまで減るという人口統計学的事実である。
市場の劇的なシュリンク、総需要の減少という「人類社会未経験」のゾーンに私たちはいま踏み込んでいる。
それにどう対応するか、そのためには全学のリソースを結集して明確なヴィジョンを立てなければならない、という話をこちらはしているのである。
「減価償却」というのは、「前にあった建物と同じ建物を新築する」ということを自明の前提とした概念である。
それは「右肩上がりの時代」においては自明のことであっただろう。
ビジネスというのは、いつだって「成長するか、つぶれる」かの二者択一であり、「ほっこり縮んでゆく」というようなビジネスモデルを真剣に考えた経営者はこれまでいない。
しかし、単純計算で、あと30年で日本の大学の40%が消滅するというマーケット・クラッシュの局面において、「成長」というモデルを「自明」のものとすることは不可能なのである。
もちろん、このあとさらに本学が志願者数をふやし、キャンパスの規模を拡大し、日本有数の経営優良校になる、という可能性はゼロではない。
だが、その可能性を最大化する実践的方法を提言するためには、シンクタンクを一つ丸抱えにするか、現在の専任教職員全員がそのためだけに年間全労働時間を投じるくらいの人的リソースの集中が必要だろう。
私たちにはそんな余裕はない。
だから、それはさしあたり「自明の前提」には採用することのできない仮定であると私は申し上げているのである。
danger と risk は違う。
リスクは統制可能であり、デインジャーは統制不能である。
リスク・マネジメントというのは「既知の危険」をどうヘッジするかについてのマニュアルである。
デインジャーというのは、「未知の危険」であり、マニュアルがなく、マネジメントができないものを指す。
デインジャーをどう「ヘッジ可能なリスク」にまで引き下げるか、そのことを私たちは急務と考えているのだけれど、大学の「危機」というときに、私たちがすれ違ってしまうのは、たぶん「危機」という言葉の意味を私たちが共有できていないせいなのであろう。
(2003-10-30 02:00)