10月28日

2003-10-28 mardi

風邪はだいぶよくなってきた。
関係各方面からお見舞いのお言葉や品々を賜りましたこと、この場を借りて篤く御礼申し上げます。

月曜はフランス語、ゼミ、杖道。火曜日はゼミ二つと会議が一つ。
なかなか悩ましい議題である。
日本の大学がこれからどうなるのか、まったく見当がつかないので、それぞれの大学の経営者は必死で想像力を駆使している。
ぜひ頭を振り絞って頂きたいものだと、被雇用者の立場からはお願いしたい。
しかし、雇用確保を最優先したい我々労働者には、経営者の知的資質について「心配する」権利がある。
「前代未聞の状況」に際会したときに、いちばん役に立たないのは、それを「既知に還元する」かたちでしか理解しようとしない頭脳である。
大学経営者の中に、大学危機を、企業の経営危機と同じ感覚で考えている人々は少なくない。

「はなしは簡単じゃないか。支出を削る、収入を増やす。それだけのことだ」

それで済めば誰も困らない。
問題は大学というところは18歳から22歳までの諸君を主たるマーケットとしており、その18歳人口が92年をピークにして激減し、2050年にはその半分以下にまで下がると予測されているということである。
学生をどんどん取る、ということは同業他社の市場からの組織的な撤収がなければありえない。
しかし、どこもそう簡単には市場から撤退するわけにはゆかないであろう。おそらくこれから10年間は死にものぐるいの「生き残り戦」が展開することになる。
近代日本において、これは誰も経験したことのない事態である。

国立社会保障・人口問題研究所が今年1月に公開した「日本の将来推計人口」によると、我が国の人口は2006年にピークを打って、以後減少に転じ、2050年には9200万人にまで減少する。
2002年の12700万人から3500万人減るのである。
それは同時に65歳以上人口の激増と、生産年齢(15-64歳)の激減をも意味している。
いまメディアが論じているのは年金や介護の問題だが、それ以上に深刻なのは、実質的な人口減がもたらす「総需要の減少」である。
しかし、これを正面から論じているエコノミストも政治家もほとんどいない。
だって、日本人がというより、これって人類が経験したことのない事態だからだ。
経済学は「人口増加・モノ不足」を基調とする人類社会をベースに構築されてきた。
人口増・総需要の一方的増大をどうまかなうか、ということが「経世済民の学」としての経済学に求められていた問いである。
だから、人口減による総需要の減少にどう対処するかという経済学も政治学も存在しないのは当然である。

我が国はおそらく開闢以来以上続いてきた持続的な人口増加社会から人口減少社会へという歴史的な転換点に立っている。
そのような歴史的転換を経験した人間はいまの日本社会のどこにもいない。
こういう前代未聞のときに、「既知のデータ」を金科玉条にする「前例踏襲型小役人」はまったく役に立たない。同じく、過去のビジネスモデル(特にアメリカモデル)をありがたがる経営マインドもまったく役に立たないことに変わりはない。(アメリカは先進国では例外的な人口増加社会であるから、大学存立の基礎条件が日本とまったく違う)
私たちは「まったく新しい大学作り」という岐路に立っているわけである。
いかなる「成功の前例も存在しない」問いを前にしているわけである。
こういうときは、とりあえず頭をクールダウンして、手に入る限りのデータを吟味し、とりうるあらゆる「手」をシミュレートして、そのひとつひとつのコストとリスクについて考える計量的知性が必要である。
この点について、本学理事会を含めて本学の全構成員が私と同意見であることを私は信じて疑わない。
とりあえず「小役人」と「グローバリスト」に用はない、ということについてはご異論はありませんよね。