10月22日

2003-10-22 mercredi

げほげほげほ。
まだ風邪がなおらない。
ドクター佐藤からお薬をたくさんいただく。
それを飲んで寝る。

思潮社から『現代詩手帖』の「高橋源一郎特集」が届く。
私の高橋源一郎論は、吉本隆明、三浦雅士につづいて、三番目に掲載されていた。
高校一年のときに『自立の思想的拠点』を耽読してから苦節(どこが)40年、ついにヨシモトタカアキと同じ雑誌で並んで(ないけど)掲載される日がウチダにも訪れたのである。
この感動は、高校一年のときに『自立の思想的拠点』を耽読して、そのまま勢いあまって校門から飛び出したことのある人間にしか分からないであろう。
思えば、私の思想と文体に決定的なすり込みを果たしたのは、吉本隆明なのである。
まあ、私たちの世代はみんなそうなんだけど。
「経験的に言って」とか「このスコラ的美文をわかりやすく書き換えると」とかいうワーディングは16歳のときに刷り込まれたまま、抜けなくなってしまった。(さすがに「私(たち)」は恥ずかしくなって途中で止めたけれど)。
私たちの世代に文体上、最初に決定的な影響を及ぼしたのは誰がなんといっても、吉本隆明である。
そのあとに「哲学派」は廣松渉に、「文学派」は蓮實重彦に、「サブカル派」は橋本治、椎名誠、糸井重里・・・などにあらたなアイドルを求めて離散していったのである。(古い話だなー)

それにしても、あれから40年経って思うのは、吉本隆明が私たちの世代に及ぼした影響の深さである。
ある意味で、この「自立の思想家」をほとんど唯一の思想的観測定点にして、私たちの世代はずっと仕事をしてきた。
まるでヨシモト的でない仕事をしている人たちも「ヨシモトがやってないことをやろう」という仕方で、吉本隆明の影響からは逃れることができなかったのである。
それからあと、今日にいたるまで、私たちはヨシモトに相当するランドマーク的な思想と文体の「モデル」を見いだすことがなかった。

ひさしぶりに読んだ吉本隆明の文章はすらすら読めた。
「高橋源一郎特集」では、この吉本隆明と谷川俊太郎のところがいちばん刺激的であり、書き手の世代が下がるにつれて話がせこくなっていった。
困ったものである。