10月19日

2003-10-19 dimanche

徳島から増田聡くんご夫妻が来神。
『ため倫』読者のみなさんはご案内のとおり、増田くんは私が「世に出る」きっかけをつくった恩人である。
彼がそのホームページで私のホームページにリンクを張り、「こういう大人に私はなりたい」という名コピーを付すことがなければ、冬弓舎の内浦さんが私のホームページを覗いて、これをまとめて本にするというような破天荒なアイディアを抱くこともなかったのである。
私が今日あるのは、ひとえにこの少壮の音楽学者の推挽のおかげである。ありがたいので、夜寝るときも足は徳島の方には向けず、和歌山の方に傾けてるくらいである。

ためらいの倫理学

その増田くんご夫妻が神戸に遊びに来てくれたので、さっそく「グリルミヤコ」へご案内する。
「源平のお寿司」と「ステーキハウス国分のステーキ」とどれがいいですか、と事前にお訊ねしたところ、ご令室の希望で「テールシチューが食べたい」ということになったのである。
国分さん、ごめんね。悪気はないの。
二次会で Re-Set に行くと、『ミーツ』の青山さんと溝口さん、先日の朝カルにおいでいただいた森川さんらが集まっている。
ご挨拶をしているうちに、兄ちゃんに率いられて、焼き肉を食べに行っていたドクター佐藤、"大迫力"、うちのゼミのケンマ君、そのともだちのゴトーさんらが合流。
わいわい騒いでいるうちに、岸和田から長駆、江さんが帰ってきて、たちまちバーは「街レヴィ派総決起集会」状態となる。
徳島で無聊を託っている増田くんは、ひさしぶりにエンジン全開状態で、音楽批評の今日について熱弁をふるっていた。
これをそのまま『ミーツ』に載せてくれると面白いんだけどね。
12時となったので、全員の分を奢ってくれた「ふとっぱら」兄ちゃんに一同最敬礼して、ドクターとともに芦屋に帰る。

起きるとひさしぶりに何の用事もない快晴の日曜である。
セイデンから電話があって、ビデオが修理できずに戻ってきたという。
いきしにTSUTAYAに行って、「そういうわけでビデオテープは取り出せませんでした」と申し上げると、「切れていてもテープがもどってくれば、保証の範囲なので無料ですが、テープが戻ってこないと『紛失』ということで定価の80%、13000円ほど頂くことになります」と言う。
おいおい、待ってくれよ。
テープ入れたら、ビデオが壊れちゃって、修理に17400円かかるっていうから、それなら新品買う方がよっぽどやすいから、修理せず廃棄にしたのに、そのテープが戻ってこないから13000円払え?
それはないでしょ。
ビデオ一台壊して、新品のビデオに16800円払って、その上、テープの損金が13000円?

「じゃあさ、テープが入ったまま壊れたビデオデッキごと持ってくるから、それなら文句ないでしょ」

と、セイデンまで壊れたデッキを取りに行くと、デッキは破滅していたが、中のテープは取り出してくれていた。
そのテープをもってまたまたTSUTAYAに行き、カウンターで修理工場のコメントをひらいて読むと、「このテープを入れると、デッキが壊れます」と書いてある。
おおい、もしかして、うちのデッキ壊したの、このテープの方じゃないの?
だとしたら、こっちは、この腐れテープのせいで、デッキを壊され、新品を買わされ、その上賠償金まで払わされそうになったということだぜ。
なろー。責任者出てこい。
というような大事件を引き起こした「腐れテープ」が、なんと浅野忠信主演の『殺し屋1』だったんですよー。名越先生ってば。呪い、送ってません?

帰ってきてから、全開で岩波の「セックスワーク論」の原稿を書きとばす。
このあいだの朝カルの「その場おもいつき」でだいたいの方向が決まったので、それを原稿に直してゆく。
無事に40枚書き上げる。
やれやれ終わった。
しかし、いろいろな人の悪口を書いてしまったので、これでまたウチダの世間がいちだんと狭くなる。
セックス系の論件について書く人には、傾向として「粘着型」の論客が多いので、この方々を全員敵に回したウチダとしては、この先、マンションの暗い廊下などでは人影におびえなければならないのである。
でも、なんでセックスについての持論なんか本に書いて世に問うのか、私にはその気持ちがよく分からない(と、こうやってまた敵をふやしている)。
例によって、私の結論は「セックスのことなんか、あれこれしゃべるの、もう止めない?」というたいへん退嬰的なものである。
フーコーも言っているように、性について人々が語る理由はひとつしかない。
それは「性について語りたい」からである。
どうして「語りたい」のか、その理由をご本人たちは誰も知らない(もちろん、性的言説生産装置の部品になってるからなんだけどさ)。
私は誰のものであれ、気づかぬうちに何かの「装置」の一部になるなんてまっぴらごめんである。
「気づかぬうちにイデオロギー装置の一部になる」くらいなら、「自前のイデオロギー装置を構築してしみじみしている」方がずっとましである。
というわけで、たいへんに「しみじみとした」文章を書く。

ついでに3週間もあいだをあけてしまった「東京ファイティングキッズ」の続きを書いて、さっそくアップする。
平川君、続きよろしく。
さて、増田夫妻のおみやげの「うどん」でも食べるとするか。