10月16日

2003-10-16 jeudi

朝日カルチャーセンターの連続講演の第一回目。
この講演は上には12月までの三回分しか載っていないが、その後、もう3回「追加公演」されることになった。
ロックバンドの「追加公演」の場合は、おなじレパートリーを繰り返せばよろしいのであるが、私のような商売の場合はそうもゆかない。
あと三回分新ネタをおろさないとならないのである。
うう、めんどうだぜ。
その概要も出してくださいというので、適当に「身体と記号」「身体と倫理」「死の儀礼」というタイトルだけ付けてお渡しする。もちろん内容は未定。

昨日の第一回は60人ほどお客さんが集まった。
ウッキー、岩部さん、川崎さんという「ゼミ組」が来ているので、ぎょっとする。
というのは、おとといのゼミでしゃべった「自尊感情」についての話をマクラに振ろうと思っていたのであるが、三人もいたのではその術が使えないからである。
この講演の録音は前回の東京の朝日カルチャーでの「ケアをひらく」シリーズのものとつなげて、医学書院から本にすることになっているので、「ワルモノ編集者」である白石さんが来ている。
白石さんが来ているので八月に東京でした話も使えない。(実際にはかなり使い回しをしてしまったけれど)
別に誰かがネタ帳をつけていて、「それ昨日出たよ」と注意されるわけでもないのであるが、二日続けて同じ話をするのはなんだか気恥ずかしい。
そこでそういうえば、この同じ朝日カルチャーの教室でちょうど二年前の10月にはじめて甲野善紀先生にお目にかかった・・・という話をマクラにする。
そのとき甲野先生は土気色の顔色で、ほとんど病人のようなありさまであったのだが、その理由をのちにご本人から聞くと、驚くなかれ、先生は国東半島の山奥で・・・
というホラーな話をとっかかりにして、「瘴気」というものはほんとうに存在する、というところから話が始まった。

今回は今月末締め切りの「セックスワーク論」がなかなかまとまらないので、それにけりをつけるために、「未加工」の材料だけ並べて、講演しながら考えることにする。
論脈が破綻すると、次の言葉がでてこなくて講壇で「絶句」というリスクもある代わりに、聴衆の反応がよいと、思考にドライブがかかって、ひとりでこりこりパソコンに向かっているときには思いつかなかったようなアイディアがわき出てくることもある。
ダメもとでしゃべりだしたら、しゃべっているうちに、どうして私が上野千鶴子や宮台真司の売春容認論に納得がゆかないのかが分かってきた。
うまい具合に「身体知」とは何か、についてのイントロダクション的なお話がひとまとまりついたところでお時間となった。

お見えになったみなさんに玄関でぺこぺことご挨拶をする(小劇場の役者みたいだな)
小林さん、三宅まさきさん(三宅安道先生のご令息である)、福原秀夫さんご夫妻、コバヤシさん、堀埜さん(去年はだんじりでお世話になっておきながら、お見逸れして失礼しました)、そのほか多数のみなさん、どうもありがとうございました。
講演後、白石さんと本願寺出版社の藤本さんと釈徹宗先生と夜の北新地に繰り出して痛飲。
藤本さんは本願寺の撮影を頼んだアラーキーに「肖像写真」を撮られてしまったそうである。
村上春樹が「知り合いの女の子が『あたし、じつはヌードになっちゃったの』と言うときって、ぜったいにもうその雑誌が手に入らない時期になってからなんだけど、それってないと思う」とどこかのエッセイに書いていたが、まったくそれってないと思う。