10月14日

2003-10-14 mardi

多田塾合宿より帰る。
毎年同じ事を書いているけれど、三日間山の中にこもって稽古をして、ご飯を食べて、寝て・・・というシンプルな暮らしをしていると、心身がたいへんに軽快になる。
多田塾合宿の稽古メニューはしだいに「合気道の稽古」という枠では収まらない内容になってきた。
体術の稽古時間は全体の2割程度、ほとんどの時間は(五月の「国際気の錬磨」と同じく)気の錬磨と杖の稽古に割かれた。
その体術も杖術も、気の錬磨の進度を「測定」するための、いわば心身の能力をはかる度量衡として用いられているように私には思われた。
投げたり、極めたり、抑えたり・・・という術は、術として独立して存在するのではなく、ひとりの人間のあり方がどれくらい宇宙の成り立ちに整合しているのか、かたわらにいる他者と交通できているか、その alignment の「適切さ」を測定するために、その「めやす」として体系化されているようである。
だからこそ、植芝先生は術のひとつひとつに「形」としての名前をつけられず、稽古のときに二度と同じ技を遣わなかったのかも知れない。
そんなことを考える。

今回の稽古で印象に残った多田先生の言葉のひとつは「隙をつくるな」。
「隙」には物理的な隙と、心理的な隙がある。
身体のあり方としては「両足が揃っている状態」、心理的には「対象に囚われている」ことを指す。
たぶん本質的にこの二つは同じ意味なのだと思う。
現象学では、対象に意識が囚われている状態からの離脱を「かっこにいれる」(判断停止)と名付けた。
このとき、視線はたしかに対象を認識してはいるのだが、その存在信憑は「かっこにいれられている」。くまなく看取されてはいるのだが、そのリアルさは減殺されている。
対象を観察はしているが、囚われてはいない知覚のあり方を、多田先生は「隙のない状態」と形容されたが、これはフッサールが「エポケー」と名付けた意識の構えに通じるものがあるように私には思われた。

甲野善紀先生が松聲館武術稽古研究会の解散を決意された、ということが「随感録」に書かれている。
組織を維持するということが、ある種の「囚われ」を不可避的に帯同することに対する配慮と、もうひとつの理由は「武術家」という肩書きに限定されずに、全人的な生き方を教える仕事にかかわりたいというお考えがあるように思われた。
甲野先生のことばをそのまま書き写すと、

「場所と道具があれば、鉈や木の枝をどう捌いて薪や焚き付けを作るか、あるいは槌と火箸(ヤットコ)を使って、鍛冶はどうやって鉄を叩いて造形しているのか、といった事など、人間として本来最も基本的な生活技術の実演や講習を行ない、ナマ身ひとつで自然と向き合えるだけの基本技術を学んでもらう事なども考えている。」

最初に甲野先生とお会いした一昨年の10月に、すでに甲野先生は、自然に触れ、自然の中で生きてゆく能力の開発を怠ってきた学校教育と学問のあり方を(先生にしては例外的に)つよい口調で批判されていた。
おそらくこのあと甲野先生は身体技法の専門家という狭い枠にとどまらず、人間が環境と調和して生きてゆくため必要な本質的な「生きるための技術」(さらには「死ぬための作法」)というより汎用性の高いテーマを追ってゆくことになるのであろうと私は思う。
卓越した武術家は、鋭敏な気の感応力によって、常人には感知できない時代の変動の予兆を感知する卓越した「預言者」でもある。
おそらく甲野先生の「三脈」は「ここにとどまってはならない」と告知したのであろう。
多田先生の「気の錬磨シフト」も甲野先生の「松聲館解散」も、あるいは私たちの時代が「ある段階」を終えつつあるという時代の根源的な変化の先駆的な予兆なのかもしれない。

ひさしぶりに三宅先生のところへ。
治療のあとベリーニへお誘い頂く。
今日は、本田秀伸さんご一家を招いているので、そのお相伴に与ったのである。
本田さんとは七月の光岡先生の講習会ではじめてお会いした。
たいへんに物腰の穏やかな端正なたたずまいの青年で、さすがに一流のアスリートは違うなあ、と感服していたのであるが、国技館での世界タイトル戦ではまったく印象の違う激しいファイターぶりを拝見した。
タイトルマッチはまことに残念な結果に終わったが、今日はその慰労会。
メンバーは三宅先生ご夫妻、本田さんご夫妻とご令息と私。
私は畑違いの人間であるが、どの世界の人でも一流の人の話というのは、汎用性の高い知見を含んでいるのである。
ムニョスのフックがどのような軸旋回運動で、その圧感はいかなる物理的条件に基礎づけられたものであり、それを回避するスウェイバックはどのような感覚によるものであるか、というような専門的なお話を「ふむふむ」と伺う。
本田さんのボクシング理論は実に緻密にして明晰である。
いずれボクシングを教える立場になったときに、その膝下から多くの俊英を育てることになるだろうけれど、今はそれより世界タイトルである。
次の世界戦は絶対勝って下さいね。
本田さんは合気道にも興味がおありとのこと。機会があったら、ぜひいっしょにお稽古したいものである。