4日は両国の国技館でトリプル世界タイトルマッチ。
母を新横浜まで送りがてら、本田秀伸さんの応援に駆けつける。
三宅先生から頂いた桝席のチケットを握っていそいそとはじめてのボクシング観戦。
ノンタイトルの佐竹正一vsリチャード・レイナ戦から見る。
二人きりの桝席で、光岡先生の専門的解説付きでボクシング観戦とは、これはまことにまことに贅沢なことである。
2ラウンドで佐竹の壮絶なワンパンチKO。館内がおおおおおとどよめく。
WBA世界バンタム級暫定王座決定戦はフルラウンドで戸高秀樹がレオ・ガメスに判定勝ち。
次が23戦23KOの不敗の王者アレクサンデル・ムニョス対わが本田選手。
試合の結果はみなさんご存じの通りであるが、館内の観客のほとんどは本田の勝利を確信していただけに、重苦しい沈黙が支配した。拍手もなければ、ブーイングもなかった。観客はほとんどこの結果を「黙殺」したのである。
光岡先生も「判定まで持ち込めば本田ですね」と予測していたし、私も本田さんの芸術的なディフェンスに感嘆していただけに、どうにも納得のゆかない判定であった。もし本田さんがチャンピオンで、ムニョスがチャレンジャーだったら、チャレンジャーにまったく仕事をさせなかった本田さんの勝ちだっただろう。
ボクシングというのは、なかなか割り切れないものである。
なんとなく重苦しい気分で、第三戦を見ずに国技館を出て、「本田にかける言葉がない・・・」という三宅先生と合流して新宿へ。
新宿のレストランで、前日まで本田さんの身体を診ていた池上先生、奥様、三軸の赤羽さん、立花さん、(私と池上先生の対談本の企画をしている)毎日新聞の中野さんと「残念会」。
光岡先生と池上先生はこれが初対面である。
二人の天才的な身体技法の術者が出会う「歴史的現場」に立ち会うことになる。
池上先生の醸し出すなんとも豊かで暖かい雰囲気に包まれて、光岡先生は意拳について熱く語り、池上先生は三軸の理法を説き、私はいいたいことをしゃべり、たちまち「わいわい宴会」状態。
さらに二次会に場所を変え、光岡先生は私を相手に最新の発勁技法を実験(例によって「むちうち」症状となるが、これは翌日池上先生の治療でことなきを得た)、池上先生は光岡先生に三軸治療を施術し、催眠術は飛び交う、みんなで站椿功を実習する・・・と午前1時半まで、静かなバーは「道場」状態となったのであった。
みんなすっかりハッピーになって新宿の池上先生の治療所近くのホテルに三宅先生、光岡先生と投宿。
とはいえ、光岡先生は3時間ほど滞在しただけで羽田に向かい、早朝、岡山に帰られた。
爆睡後、午前10時にせりか書房の船橋さんをホテルのロビーにお迎えする。
先日、「ぜひ会ってお話ししたいことがある」という電話をいただいた。
「あのー。電話じゃダメなんですか?」と聞いたが、「電話じゃできない話です」とおっしゃるので、「めんどくさい話だったらやだなー」と思っていたのである。(もしかすると、リュス・イリガライから名誉毀損の訴えでもあったのかしら・・・とか)
たしかに電話じゃできない話で、『レヴィナスと愛の現象学』の「印税」支払いであった。
せりか書房では伝統として、著者に現金を手渡すしきたりなのだそうである。
まことによい習慣である。
船橋さんを相手におしゃべりをしているうちに松下正己くんが登場。
松下君の新会社に私は出資することになっているので、定款などにぺこぺこと実印を押す。
私はこれまで「アーバン・トランスレーション」「フィード・コーポレーション」「ビジネスカフェ・ジャパン」の三社に出資している。
これらの株式はいずれ私の「スーパーリッチな老後」の財政的基盤を提供してくれることになっている。
定期預金に入れておくよりは、松下くんの経営手腕に期待するほうが愉しそうなので、新会社の株主になる。松下くん、がんばってね。
ビジネスライクな午前を終えて、ホテルに隣接する池上先生の治療所へ。
池上先生の驚嘆すべき妙技を拝見して、ただただ驚くばかり。
池上先生の『カラダ・ランドフォール』の「解説」にこれまでの私の理解した範囲での三軸の説明は記したのであるが、その説明をまるっと超えた世界が展開する。
この治療理論をいったいどう言語化すればよいのであろうか。
困ったなあ。
「解説」はもう書いてしまったから、いまさら書き直せない。
だいたい、800字書いてくれと出版社から頼まれたのに、興に乗って8000字も書いちゃったし・・・
というわけで、あの本の「解説」はあまり信用しないで、さらっと読み流してくださいね。
池上先生ご夫妻、三宅先生とつれだって、五反田の成瀬ヨーガ教室へ。
多田宏先生と成瀬雅春先生という身体技法の二人の達人の「歴史的出会い」に立ち会う(そういうことが二日続けて起こる、というのはどうやら私に「そういう場面に立ち会う」武運がいま集中的に「来ている」というなのであろう)。
おまけにその場にはもう一人の天才的身体技法術者である池上六朗先生もいたのである。関川夏央・谷口ジローの『坊ちゃんの時代』の東京駅頭のシーンではないが、いまこの場で「歴史的邂逅」が実現しているという事実の思想史的意義に私はひとりでわくわくしてしまったのである。
会場は多田塾関係者でごった返し。
亀井師範、坪井師範、今崎先輩、自由が丘の小野寺先輩、小堀さん、狩野さん、気錬会の北澤さん、工藤くん、鍵和田くん、月窓寺の小林さん、宮崎さん。(このへんの敬称の使い分けはけっこう微妙だなあ)
うちのメンバーは、かなぴょん、ウッキー(二人とも「業務命令」を忠実に実行したのである。えらいぞ)、ドクター佐藤、溝口さん。
昨日からずっとごいっしょの毎日新聞の中野さん、医学書院の辣腕エディター白石さん、鳥居さん(彼は月窓寺に入門したので、私の弟弟子となったのである)杉本さん(この二人は『期間限定の思想』の最終章のインタビュアーたち)、文藝春秋の田中さん、『秘伝』の塩澤さん、と顔見知りの編集者たちもぞろぞろ来ている。
多田先生が道場以外の場所でお話しになるのはまことに珍しいことであるが、成瀬先生という希代の天才ヨギが対談相手ということで、先生もたいへんに愉しそうにお話しされていた。
多田先生、成瀬先生のお二人にそれぞれ長く師事している笹本猛先輩という、対談者二人の個性を熟知したスマートな司会者を得たことで、実に和気藹々とした、二人の天才のお互いに対する深いレスペクトが行間ににじんだ、すてきな一時間半の出来事ではありました。
終わったあと、聴衆たちの顔に浮かんだ幸福な表情は、この1時間半のあいだに耳にした珠玉の言葉がこのあと長い年月にわたってゆっくりそれぞれの「身にしみてゆく」であろうという予感を物語っているように私には思われた。
もちろんトークの内容は、私ごときがここで「要約」することのできない質のものである。
こればかりは身銭を払って来た人間だけの「特権」である。わはは。
五反田駅頭で石井さんとばったり会う。
本日は本部道場で昇段審査があって、イベントには参加できなかったのであるが、その「余塵」を嗅ぐべく駆けつけたのである。
石井さんは月窓寺の門人で、神戸女学院合気道会の客分で、おまけに(まったくの偶然から)池上先生と「同じマンションの同じ階」の住人であるから、そういう「ご縁の濃い人」と五反田駅頭で私たちが「ばったり会う」ことには別に何の不思議もないのである。
名古屋に帰るかなぴょんを送ってから、神戸組は新幹線で愉しく「プチ宴会」。
会うべき人とは会うべき時に必ず会うという「宿命」についてしみじみ考える。
それにしても、わずか48時間のうちに、光岡英稔、池上六朗、成瀬雅春、多田宏という「現代の畸人たち」と立て続けに会ってしまったこと、そしてその全員がほとんど「同じ事」を語っていたという事実の衝撃は浅からぬものがある。
もちろん、それを「同じ事」というふうに解釈するのは私自身のただいまの問題意識の「偏り」のなせるわざであるから、必ずしも汎通性のあることではないが、それにしても、ね。
(2003-10-05 00:00)