9月1日

2003-09-01 lundi

八月も終わってしまった。
子どもたちは夏休みが終わって、今日から学校である。
気の毒に。
学校に行かなくていいと思うと、全身が幸福で脱力状態になる。
子どものころは、よくあんなに長い期間学校に通っていたものである。
今思い出したが、小学校一年生のときに、私はすでに学校に飽きていた。
うちの裏の神社の鳥居を抜けて、お寺の墓所の横の竹林を通って小学校への通学路があったのだが、(と書くと江戸時代みたいな風景が思い浮かぶだろうけれど、だいぶ違う)通学の途中、その墓所の横の竹の塀を傘のさきっぽでこんこんと叩きながら、
「あーあ、あと何年小学校に通わないといけないんだろう・・」と考えて「げ、あと6年だ」と思って、がっくり落ち込んだことを覚えている。
それからずいぶん経ってから、また同じ場所で、「あと何年この道を通うんだろう」と思ったら、まだ小学校二年生だったので、さらにがっくりしたことも思い出した。
別に学校が嫌いだったわけではない。
勉強は好きだったし、友だちとも仲良く遊んでいた。
でも、夏休みが来る前は、一月も前からわくわくしていたし、九月一日はほんとうにブルーだった。
そんなところに6歳から31歳まで25年間も通ったのである。そのあとは子どもが6歳から18歳まで、12年間、子どもを叩き起こして学校に通わせた。
「校」の原義は、木を X 型に交差させ、それで手足を繋縛した枷のこと。そこから、対話すること、引き比べることの意味が出て、さらに「対話と査定を行う場」の意に転じたのである。
面倒なことをよくぞしたものである。
さいわい、私はもう学校に行かなくてもよいし、子どもを学校に行かせなくてもよい。
うれしいな、と。
のんびりと本を読み、原稿を書く。

レヴィナス論はついに「終章」にたどりついた。
「喪の主体」について論じてるついでに、柳田国男の「先祖の話」を読む。
「先祖の話」は柳田が昭和20年、第二次世界大戦が終わった直後に、戦争で死んだ人々たちの鎮魂のために、日本人は何をなすべきかを民俗学の立場から説いたものである。
そこで柳田が勧奨したのは、鎮魂碑を建てろとか、英霊を祀れとかいうことではなく、祖霊を祭る伝統的な祭式(要するに盆と正月の儀礼)を守って絶やすなという、ただそれだけのことだった。
この本を読むと、わずか60年前には、柳田が報告する驚くほど多様で豊かな祖霊のための祭りがあった。
そのほとんどは今の都市生活者には伝わっていない。
けれども、そのような儀礼なしに人間は生きて行けない。
私は父の死後、何となく父親の遺影と小さな骨壺を棚の上に置き、思いつくと線香を上げ、葉巻を供え、一日最初の一杯を呑むときに遺影と目が合うと、軽くコップを挙げて乾杯のみぶりをする。
柳田を読んだら、私は伝統的な「魂棚」の作法を無意識的になぞっていたらしい。
遺影に向かって「その日最初の一杯」を儀礼的に献じることを「ホカヒ」と言う。

「『常に酒を飲み茶を啜るに、皆其初を神に供ふる儀を為す。是をホカヒと謂ふ。古語なり。』(笈埃随筆)と誌しているが、同じ風習は現在なほ消えてしまはず、高千穂地方では敬神の念の強い人たちが、酒を飲む前に指の先で三べんほど、酒を空中に散らすことをホカフといふそうである。」(「先祖の話」)

これが「ホイト」(乞食)やさらには「ホトケ」の語源ではないかと柳田は思弁を逞しくしている。
そう言えば、関西には東京人の用いない「ホカス」という動詞がある。これの対概念は(これもまた関西固有の動詞)「ナオス」である。
「ホカス」は「棄てる」で、「ナオス」は「しまいこむ」である。
柳田は一座の神霊にのみ供御をすすめる儀礼を「マツリ」、不特定の共餐者に供御を与えることを「ホカヒ」と呼んで、これを区別するという仮説を立てている。

「是が或は我邦のマツリとホカヒとの差別では無いかと思ふ。尤もマツリにも直会といふ共餐者の例は有るが、是は賓客に対して亭主が相伴をする方に近い。誰とも知れぬ者や我仲間で無い者にまで分配せられるといふことは、食物の第一次の目的からは外へ出て居る。」

そこで柳田はホカヒを無縁仏、外精霊への儀礼ではないかと推理している。

それに触発されて、私も考えたのだが、もし「マツリ」と「ホカヒ」が対語であるなら、「ナオス」と「ホカス」にも同一の関係あるのかもしれない。
「しまい込むこと」と、「投げ捨てること」、おのれ一身とおのれ一族の繁栄のためにマツルことと、名もないすべての死者たちのためにホカフことのあいだには、みぶりは似ているけれど、霊的には大きな差がある。
柳田はこの失われた「ホカヒ」の儀礼のうちにわが国の伝統的な喪の儀礼の美質を見出しているようである。

みんなで宴会するときに、「では、乾杯!」ということを必ずやる。
ビールやワインを注がれて、全員にわたりきらないうちに一人で勝手に呑み出す人間は相当に非礼な人間だとみなされて、白眼視をまぬかれない。
それは、共餐の儀礼において、最初の一杯の最初の一滴は、その場をゆききする地霊たち、外精霊たちに捧げるために頭上に掲げなければならないという「ホカヒ」の儀礼を私たちがいまだに忠実に守っているからなのである。