8月28日

2003-08-28 jeudi

大学の研究室に行って、ホームページを更新。
家のG4と研究室のG3が行き違いになっているので、ホームページの体裁がいまいちまとまらないけれど、なんとかたまったテクストをアップする。
ばたばたと芦屋に戻って、今日はM新聞社の編集者とお仕事の話。
もとより新しい仕事を受ける余裕はないのであるが、もう仕事を断っても受けても、「できるものはできるし、できないものはできない」という涼しい解脱の境地に達しているので、のんきなものである。
今回は珍しく『おとぼけ映画批評』の単行本化の企画である。
『おとぼけ映画批評』は私の最も愛するテクストなのであるが、これまで提案したすべての出版社が「映画批評は、ちょっと・・・」とリジェクトされ続けてきたのである。
先方に使えそうなテクストを選んでもらって、ちょこちょこと書き足せばよろしいというのであれば、私としては願ってもないことである。
ついでに出版社未定で進行中の他の企画を売り込む。
昨日、突発的に新企画は旧友平川克美君とのインターネット往復書簡『東京ストリート・ファイティング・キッズ』(仮題ね)を思いつく。
D書房さん、これ私の(永遠に書けそうもない)「自伝エッセイ」より原稿ができる可能性高いですよ。これに替えません?

中央公論の秋の号の表紙が甲野先生なので、そのキャプションの原稿800字を書く。こういう仕事は楽しい。
『ミーツ』と『キネマ旬報』のゲラが出たので、その校正。『ミーツ』の担当編集者はいつのまにか、私のゼミの聴講生の「だいはくりょく」君に交替している。『ミーツ』の江編集長にうちの教室でスカウトされたらしい。何をするのもすばやい江さんである。校正のついでに、『ミーツ』連載中の「続・街場の現代思想」の六回目の原稿を書く。

原稿書きの隙を縫って床屋に行って、髪の毛を思い切り短くカットしてもらう。
ウチダ家は遺伝的に毛が濃いはずなのだが、最近地肌が透けて見えるほど毛が細くなってきた。年だから仕方がない。でも、どうせなら、これまで半世紀ろくに太陽に当たっていない地肌にたっぷり陽光を浴びせてあげようと、かりかりに短くする。

帰ってからレヴィナス論の続きを書く。
「レヴィナス/ラカン論」という構想で始めた原稿であるが、とてもじゃないけど、この二人をまとめて論じるには1000枚あっても足りないことに気がついて、ラカン、フロイト、ハイデガー、フッサールの四人を参照しつつレヴィナスを解釈するという方向に方向転換。
これならあと二週間くらいでなんとか目鼻がつきそうである。やれやれ。

この一週間ほどはずっとレヴィナスのアナクロニックな時間論について書いている。
三日前のK-1のムサシ選手との短い対話の中で、「やっぱり、そうか」と何かが腑に落ちたのである。なにが「そうか」なのかは、まだうまく言葉にならないけれど。

仕事を終えて、みなさんオススメの韓国映画『猟奇的な彼女』を見る。
これぞ、純愛映画の「王道」。
どきどき、わくわく、にこにこ、しくしくさせながら、何のケレンもなく、「予定調和のためのすれ違い」という永遠のワンパターンをみごとに踏襲している。
ウチダは、「永遠のワンパターン」には原則的にどんなものでも好意的であるが、これほどスマートな「ワンパターン」は珍しい。
女の子は『ティファニーで朝食を』でヘプバーンが演じたホリー・ゴライトリーのキャラに近く、こういう「少女版ファム・ファタル」は少しでも俗な感じがすると一瞬で興醒めなんだけれど、チョン・ジヒョンは俗っぽさと透明さのバランスが絶妙。
ふりまわされておろおろするチャ・テヒョン君も実にかわいい。
韓国映画はレベル高いなあ。必見。